Magazine277:壊れる男たち |
| 金子雅臣、岩波書店、740円と税金。 労働相談の窓口で受けたセクハラ相談をベースに、なぜ男たちがセクハラに至るのか、その時の論理を紹介しつつ、その論理の破綻ぶりを示した本である。 その相談例を見ていくと、「男は○○」「女は○○」と考える人々だということがわかってくる。このように書くと簡単そうだが、相談事例を読めばわかるように、勝手に考えるところは相当に根深い。詳細は本を見て欲しいが、親切がすなわちセクハラに該当しているという事例に典型的だ。 金子は、男だからセクハラをするという見解に与しない。そこには意識の違いがあるのだという。しかし、それでも近年増えている事例を見ると、男たちが壊れ始めているのだという。その壊れる男というのは、その男たちの持っている閉塞感と危機感だという。その閉塞感や危機感の由来は、リストラなどの労働環境の変化、家族や家庭の有り様の変化にあるとする。この変化を過去の形態のままに居ようとすると、リストラされそうだし、厄介な被介護者でしかなくなっている自身が見えてくるというわけだ。 こうして、性差別禁止法が必要だという方向へと結論が引きだされていく。読んだ方がいいでしょう。 (2006.02.27) |
| Magazine276:良心の自由と子どもたち |
| 西原博史、岩波書店、700円と税金。 ブログにも触れたように、思想・信条の自由をどう守るのか、また、教育の強制性をいかに越えるのかについて現在の法体系を念頭に、その課題において追求した本である。 1章では、良心の自由とは何か。 2章では、子どもの自由と教育。 3章では、思想・良心を形成する自由と教育内容の中立性。 4章では、心の自由を育てるために。 という構成となっている。日の君訴訟などアクチャルな問題を念頭に、原理的に考察を加えている。私の専門からすると、国家の教育権論と国民の教育権論の二つを批判した部分が重要だ。子ども親、さらに行政と教師という関係の構築が今後の課題であることが浮かび上がってくる。教師の専門職性を確立しつつ、教育の独占を排除する仕組みとして結実させていく方向が研究課題となる。西原は、これをもっぱら教育法学の人びとに提案を出すように促しているように見えるが、教育課程論や教育方法学にとってはもっと実践的な課題なのである。 これは、今年刊行された新書の中では今のところ一番でしょう。もっとも読んだ数が少ないけど。(2006.02.25) |
| Magazine275:生活指導3月号 |
| 全生研編、明治図書、724円と税金。 会内的には、第二特集が注目だ。昨年夏に発刊した『子ども集団づくり入門』を会員がどう読んだのかが特集だからだ。しかし、特別なニーズを持つ子どもと集団づくりの記録が地道だけれど、佐々木実践をはじめ丹念に子どもを見ながら展開している。障害を持つ子の見方を徐々に組み換え、彼に係わる子どもを発見し、「できる」ことを広げ、「できる」ことが広がることで生まれる新たな困難へと立ち向かっていく。 第二特集では、全体として批判的な意見が多く並ぶ。その論点は、集団づくりの筋道をモデルとして示さなかった点に集中している。モデルということで何を期待しているのかわからなくもないが、それは、私には集団を組織論的に考えすぎていないかという疑いが残る。 人が状況論的に行動し、判断しているという観点から見ると、その活動の内容や今の関係の有り様を問いなおす発想こそ重要なのではないかと思われる。 (2006.02.23) |
| Magazine274:若者が働くとき |
| 熊沢誠、ミネルヴァ書房、2000円と税金。 今月読んできた本の中では一番良い。そのよさは、フリーター・ニート問題を労働問題として取りあげ、働く気がない若者みたいな論評をデータも示しながら批判していることである。したがって、フリーターやニートといわれる人が働くようになればいいという解決策ではなくて、正規雇用労働者の働かせ方の現在を批判し、その労働政策を根本的に変えることなしに問題が解決しないこと、それを変えていく展望を見据えた議論をしている点がいい。 個人的に一番気に入ったのは、私が昨年の冬に批判した山田昌弘の『希望格差社会』をその宿命論的スタンス並びに単純労働の非正規化を容認する議論として批判している点だ。(79頁)ようやく見つけた仲間という感じ。この山田を批判するということは、これに連なる一連の保守派社会学者の議論にも係わってくる批判の視点がそこにあるということ。 また、本書は、熊沢の教育への期待も示されており、4章はよんどくべきであろう。 |
| Magazine273:日本の教育と基礎学力 |
| 21世紀COEプログラム東京大学大学院教育学研究科基礎学力研究開発センター編、明石書店、2600円と税金。 編が長い。要するに文科省のプロジェクト予算で作りましたという意味。金子元久や市川伸一、小川正人、苅谷剛彦というメンバーは、文科省の中教審関連委員を務めている。文章もうまい。しかし、過半数の論文がデジャブ。PISAのデータから正確に読むなどと始まる。だが、その読みの根拠が説得的には記されていない。各論者とも概要を記した感じとなっているのが残念だ。私の知らない文献が参考文献一覧にあったのが収穫。(2006.02.17) |
| Magazine272:鍛錬主義と習熟度別授業を問う |
| 松下佳代・小寺隆幸、数教協ゼミナール61号、500円。 一般書店では取り扱っていないので、数教協のHPに行ってどうしたら入手できるのか問い合わせよう。問い合わせて入手する価値はたぶんある。 もっとも松下の論文も小寺の論文も部分的には、数学教室などに発表されている点もあるので、それを購読している人には不要だ。そうではなくて、このテーマだけに関心のある人、例えば、蔭山ファンや学力研メンバー、習熟度別に疑問を持っている人にはお勧めだ。 松下は、百マス計算は定型的習熟は促すが、わかることならびに適応的習熟は促さないこと、学力研メンバーらはいつも川島の脳研究の結論を引用するが、そこに証拠がないことを指摘してもいる。ついでに言えば、私もここにOECDの脳研究の著作を取り上げて指摘したことがある。 対案としてパフォーマンスアセスメント(できばえ評価)という考え方を示している。簡単に言うと生徒が行ったことを、概念的知識を使ったか、手続き的知識を使ったか、などの指標をつくって評価するものだ。このことによって、生徒の思考を正確につかみ、逆に育てようと言うわけである。これは研究にはいいけど、個々の教師が日常的に行うにはちと面倒なのが今のところの欠陥。 小寺は、習熟度別が能力別で、今のところ習熟度別が優れているという大量調査などがないことを示し、さらに、多様なものが学び合うことこそ大切なことを実践を踏まえつつ論じている。(2006.02.15) |
| Magazine271:論争する宇宙 |
| 吉井譲、集英社、680円と税金。 本書は、副題に「アインシュタインの最大の失敗が甦る」とあるが、それは枕に過ぎない。確かに、冒頭はアインシュタインの宇宙定数という提唱の間違いに係わる話しだが、基本は、宇宙の誕生についての理論の変遷を数式抜きに解説した本である。 私のように30年以上前の宇宙論のままであった者にも基本的な考え方の変化を示してくれているのでわかりやすい。ただし、なぜそういえるのかという論証部分はカットされているので、私のように現在の宇宙論の基本コンセプトで満足できる人間むけの本ということだ。 ビッグバン宇宙論がまだまだ様々未解明な部分を抱えていることなど知らなかったこと、宇宙の種のことなど初めて断片的な知識がつながった事柄も多かった。 何より、それぞれの天文学者たちの偏見が思わぬ理論の歪みをもたらしていたこと、彼らのキャラクターが様々影響を与えて、科学の眼差しを歪めもすることなどがいくつも紹介されていた。最後の章は、プロジェクトの宣伝みたいな臭いがしなくもないが、これは読んで良かった本。(2006.02.12) |
| Magazine270:邪馬台国論争 |
| 佐伯有清、岩波書店、740円と税金。 あの上古の時代の有名な論争について、その当事者の周辺的な話題も含めて論述した本である。邪馬台国畿内説と北九州説のそれぞれの論点を紹介してくれており、巻末には、魏志倭人伝の関連部分の読み下し文などもついているので、私のような初心者には便利かなと購入してみた。 しかし、これが前半はあまり面白くない。論争点なら論争点だけをもっと明確に書き表す術があるように思われるが、周辺的話題を入れているので、その筋の人には興味深いのかも知れないが、どうも私には悪趣味に写った。 ただし、後半になると、論争が戦後になってくると言うこともあるのかも知れないが、いくらか読みやすくなった。読みやすいというよりも、意見の対立点の叙述が私にわかりやすくなったように思われる。 こうした天皇制やその起源に係わる話題の場合に、社会的圧力、国家権力による圧力をどのように受けたのかについては、テーマとは別に、その生き方選択が興味深かった。 しかし、それにしても、本の帯に「興味深い逸話を織り交ぜて100年の論争史をたどる」とあるが、織り交ぜ方を間違えていると思う。論争それ自体のコンパクトな紹介をまずして、それからそういう結論を導き出すに至った事情を記すという手順にした方が良かったのではないと思う。 本書の完成を待たずに佐伯氏が亡くなられたことは残念なこと。 (2006.02.08) |
| Magazine269:コルチャック先生 |
| 近藤二郎、平凡社、1100円と税金。 一度出版されたものの改訂版。ポーランドのユダヤ人医師で孤児院を設立し、教育者としていき、ナチスによってトレブリンカの森に孤児たちと共に消えたコルチャックの伝記である。普通の伝記と違う点がいくつかある。一つは、資料集めが困難な中でそれを集めながら、研究的姿勢を盛り込んである著作だということ。 ポーランドという歴史的な位置を確認し、そこにおけるユダヤ人の位置づけを確認しながら論述している。そういう部分が大きな部分を占めていると言っていいだろう。 しかし、だからだと思うのだが、子どもの自治や子どもの裁判が発明・導入されることの理由も本の後半になるにつれ浮き彫りになってくるように思われる。 学校と教師が冬の時代であるとすれば、その冬に、教師へのあこがれを探す本として 読んでもいいかもしれない。そう思われる。(2006.02.06) |
| Magazine268:人間の安全保障 |
| アマルティア・セン、集英社、680円と税金。 平等主義的なリベラリストとして知られ、ノーベル経済学賞を受賞したセンの最近の論考の翻訳集。暴力的な新自由主義の政治や経済への批判となっています。それは、人間を大切にしない仕組みとして批判され、人間を中心にしたものにしようと静に呼びかけるものとなっています。 いくつかの論考が含まれているがそれらは、基本的に二つのことを主張しているようだ。一つは、読み書きを教えることが世界の平和や安全の基本的な保障となることを、様々事例で示すことである。例えば、乳幼児の死亡率を低下させ、女性の社会参加を促し、エンパワーすることがデータとして裏付けられていることを示していく。文字どおり、それが人間の安全保障なのだといっている。 もう一つは、多文化的な視点を持って、他者への寛容とでもいうのだろうか、そういうことがもう一つ重要だという主張である。ハンチントンのような文明の衝突という把握の誤りを指摘する。それは、センの生まれたインドをヒンズー教と単純化しているが、実際は一億を超えるイスラム教徒のいる社会であり、代数学の起源とその発展などを通じて多文化的世界の存在を例証しようとする。こうした点は、新自由主義的な意味でのグローバル化の問題や、西洋中心主義批判の眼差しを持って議論を展開する。 ただ、私からみると、センは、二つの問題を持っているように見える。それぞれの主張に一つずつ対応する。 一つは、読み書きを学ぶとエンパワーされるというのだが、確かに一面ではそうなのだが、読み書きを学ぶが故に騙されもするのである。人は、無知であることによっても騙されるが、言葉を学ぶが故にその言葉によって翻弄されてもいく。この点を見ないと、人間の安全の保障についての見方がせまいものとなるであろう。 もう一つは、グローバル化を避けられないものと見、グローバル化によって弱者が切り捨てられないようにというのだが、反グローバル化の動向に最初から否定的なのだが、そのように断定していいのかどうか。仮に弱者を切り捨てないグローバル化が存在したとして、その発展プロセスを辿ったとしても、地球的な危機は解決しないのではないか。このあたりがリベラリストの運命なのかかも知れないと思った。 (2006.02.02) |