| Magazine297:世界共和国へ |
柄谷行人、岩波書店、740円と税金。 柄谷の社会構想についての普及版。量産しつづけている方なので偉いなあとおもいながら、結局、結論はどうなの?と思っていた方の本だ。クリーティークに累々と綴られていた中身を、一般の人向けにわかりやすく社会構想を書いたもののようだが、社会構想としてはステートのことを記しながら、その担い手やその組織論に触れていないので、アナーキズムではない世界共和国論らしいが、構想自体として興味をそそられると言うところに私は至らなかった。 むしろ、個別の論者の指摘についての読み方や評価の仕方について、ところどころそんな理解もあるのかという風に読めるところがあって、その点では新書的には損しなかったと思う。例えば、ネグリとハートへの批判的な評価などは、この所の私の見方とつながる点があって、彼らの議論への日本における二人目の批判者を見つけた。(一人目を忘れたけど、また、『新世界秩序批判』に納められたような諸外国における批判者は除外し、さらにまた、問題外の研究者は除外した上での数)しかし、けっしておすすめの本というわけではない。(2006.04.27) |
| Magazine296:数学教室5月号 |
数学教育協議会、国土社、781円と税金。 今月号は、子どもを伸ばす学級をつくろう。学級づくりと数学教育は関係があるぞと言う発想がいい。子どものことを知っていくから数学教育ができるんだというスタンスの実践報告。子ども同士の関係だけでなく、教師と子どもの関係をうまくつくり出せずに授業をするから学級崩壊が生まれちゃったりするんだという報告などがある。 数学は学力形成だと思っている向きには読んでほしいと思う。 中でも一番私が印象深かったのは、広島の永山さんの文章。第一希望で入学してこない私学が成績順のクラス編成に強引にしてくる中での実践を書いている。その中で韓国のキム・ムゴンさんの「知能指数より共感指数」という話しを紹介している。その趣旨に賛同したいなと思った。できれば、共感を指数にしないともっとよかったけど、これはゴロだろうから致し方ない。進学しない生徒が高校3年生になって、数学を学ぶことで開ける世界はどんな世界なのか、探求課題は本当に多く残されているなと思う。(2006.04.23) |
| Magazine295:憲法問題 |
愛敬浩二、筑摩書房、740円と税金。 近年の改憲論議、改憲思想について、9条を擁護する見地から書いた新書。 冒頭に、名古屋市営地下鉄の東山線、名城線、鶴舞線の駅名の学生たちが9条についての議論をする。このくらい議論する学生ばかりだと楽だなと思ってしまった。そこに含まれる近年の思想・論調を論断に登場した憲法学者、政治学者などの議論や政治化の実際の議論とつなげて、その妥当性、問題性を論じた本である。過去の憲法論議を確認する章は今ひとつ面白くないのだが、その一つの章を除いて、私には興味深く読めた。 アメリカ合衆国憲法下の人種差別条項の撤廃をめぐる議論を取りあげて、押しつけ憲法論が成立しないこと(他の事例でも論証している。つまり、押しつけ憲法論を主張する側が、天皇の戦争責任を問わないことを条件にアメリカの押しつけを受け入れた側であったことなど。まあ、恥を知れという感じでしょうか。)、井上達夫や内田樹などの議論の議論のおかしさを説得的に語っている。 国民主権を持ち出して、主権者なんだから一度憲法を変えてみようよという議論の誤りを記している。内田は読者がそこそこ多いのでその批判のためにも、ここに愛敬の論点を引いておく。内田は9条があって自衛隊を認めるなら侵略の軍隊にならないからいいんじゃないという。これに対して、内田の議論はまやかしだという。9条がその出発から自衛隊との相互依存であったなら、「政治的妥協」など存在しなかった。つまり、9条を絶対平和主義と理解しなければならないし、その見地からの運動があっての結果であって、内田の議論は錯誤だというわけだ。 最後に、愛国心問題をとりあげて、憲法99条の公務員の憲法遵守義務に、「国民」が含まれていないことの意味を力説する。この点が憲法の意義を端的に示している。つまり、国民は、行政などの権力に憲法を守らせる権利を有するが、国民を憲法を守る義務はないという関係だ。だから、愛国心などを憲法に書き込み、それを国民に強要するということがあってはならないのだという話しを、「歌わせたい男たち」や「リア王」の事例で書いている。 これは、今月取りあげた本の中では一番読むことをおすすめしたい本。 (2006.04.21) |
| Magazine294:希望学 |
弦田有史編著、中央公論新社、700円と税金。 職業の希望についてのアンケートをベースに、希望の生まれる内的要因や属性を検討した本。希望は、親に期待されていた人の方が持ちやすいとか、友達が多い方が持ちやすいとかデータから指摘した本。といってもものすごく相関があると言っても10%水準らしいので、個別の人にその相関は当てはまらないかもしれない。 ともかく、希望とはなんだろうとか、その効用について議論していたりするので、興味のある人にはどうぞという感じ。ただ私が一番引きつけられたのは、希望についての先人の指摘の部分であって、データとその分析の部分では必ずしもない。一番のそれは、ジョン・フレッチャーという作家の「希望はそれを求める気の毒な人を決して見捨てはしない」という一言。文脈も原典も知らないので正確な読みではないだろうけれど、絶望とともに希望があると言っていると解した。 佐藤は、仕事に希望を持っている人の方が恋愛や結婚にも希望を持っているとデータから指摘し、「捨て身になって恋をしよう」などと書いてある。なんか違うなあと思う。 そうした個別の諸問題とは別に、誰のどんな人々の困難に対して、いかなる希望がどのように見えてくるのかという課題意識をもった研究ではなくて、世間一般に解消された多種多様なアンケートというデータなので、属性に還元して希望の生まれやすさや生まれにくさが語られていく。この点がひどく気になる。臨床的な仕事にタッチする者からするとなんだかなあという感じ。 この点では、石倉論文の方が社会的な視野がよりはっきりしていてスタンスが違うのかもしれないと思ったりした。(2006.04.18) |
| Magazine293:教育5月号 |
教科研編、国土社、667円と税金。 学力と授業が特集。巻頭論文の原田さんたちと飲んでいて新幹線に乗り遅れたことを思いだした。その時にもここに出てくる哲也の話をしていた。そうその時の結論は、学ぶテーマは学校に一杯転がっているという話しだった。普通は、教師が採決・判断しちゃうから東京都教育委員会と一緒で世界を混乱に陥れるんだと思った。原田さんの実践は、テーマ化するところまでがとりわけ面白い。 特集は、教科研の3年プロジェクトまとめ的な位置を持つらしい。授業をタイプわけする発想から議論は進行したらしい。参加型授業と呼んでいるのだが、そういう側面も大切だけども、批判的というニュアンスにおける創造という問題が私は重要そうだと思っている。今日の一部の危ない授業動向の対極を生きるには、そういう方向の方が良いんじゃないかと思う。つまり、体験学習が近年、心の体験学習にシフトしている気がするからなんだ。なお、「心の体験学習」というのは子安の作成したキャッチコピーで著作権があるので、無断使用をしないように。 (2006.04.16) |
| Magazine292:生活指導5月号 |
全生研編、明治図書、743円と税金。 今月号は、子どもから指導拒否に出合った時への原則的、実践的対応が特集である。本当に原則的に書いている人もいる。例えば、植松さんの文章。一般的に授業への集中をゲーム的感覚を持った競争で構築しながら、すべての子どもをそれにあわせるのではなくて、個別的な対応をつくっていくのだということなどを書いている。 他方で、授業エスケープの中学生についての文章は、こうすればいいという書き方ではなくて、子どもの行動の事実を教師の指導に乗ってきたときとそうではなかったときとを率直に書いていく。指導に乗ってこなかったときというのは理由がつかめていないことがわかる。これがヒントなのかもしれない。どんな事例が取り上げられているか一部を示すと以下のようになる。 小学校/遅刻や登校しぶりをする子どもに出会ったら 特集ではなくて、ほかにのぞいてみた見た記事で面白そうだったのは、両竹内論文。お一人は竹内常一論文で、憲法や教育基本法改定動向のうち、新自由主義的な新保守主義の改憲論が保守主義的な改憲論へと変化してきている動向を取り上げ、そのことと教師の仕事の息苦しさの関連を指摘している。 もう一つは、竹内元論文。コンテンポラリー・ダンスの取り組みについて記している。わたしが知っているのはヒップホップ系のものなので、それと違うのか同じなのかちょっとわからないが、今日広がっているダンスの意味を考える契機になればいいなと思う。(2006.04.12) |
| Magazine291:心とことばの脳科学 |
山鳥重・辻幸夫、大修館書店、1800円と税金。 脳を鍛えるとか、脳年齢○○歳、脳を鍛える朝食、テレビを見ない等々眉唾言説が、世間に流通している。そこで根拠とされていることは、脳の血流量、磁場変化、電位変化であって、それが人の心理活動や思考とどのようにつながっているのかはまだまだ全くわかっていないのだという話しが語られている。この慎重さと、もう一つ重要だと思うのは、生きた人間の臨床例と結び合わせて研究してきていること。このあたりが一部の方々と違う。 それでも、臨床的な事例などからわかってきていることがいくつか挙げられていて、興味深いことがいくつかあった。一つは基本的なことだが、意識と感情と認識と信念の区別をしていること、そしてその階層構造を情知意の順だという。情が最基底部に位置づけているが、他と関連していること。また、意識についても、自己意識の歴史、もしくは発達について論じており、自己を観る自己についての思春期的な把握があるのだが、その修正が必要なのかも知れない。また、生成文法という言語理論に根拠がないという指摘。分かるということと深く関わるが、ものごとを理解するということは、関連分野との結合、全体への位置づけなどが生まれて「わかる」ということが生じるとし、言語記号と事物を単線的につなぐだけではダメなことなどが指摘されており、効率重視の学習の間違いを示唆していた。この点では、だから、多様な者同士のコミュニケーションが重要なことを裏付けてもいると読んだ。 斉藤(日大の方)、陰山(立命館の方)、川島(東北大)言説を信じ込んでいる人は読んでいただきたい本。(2006.04.08) |
| Magazine290:生き延びるための思想 |
上野千鶴子、岩波書店、2400円と税金。 一月あまり積ん読状態だったのだが、先に読むべき本が一応なくなって移動中にほぼ読み切り。基本的に論文集なので、一部に昔読んだものが含まれていた。反対に、いつか本に採録されるだろうと思って買わなかった雑誌のものが入っていたりした。 この本の基本的骨格は、国民国家という枠組みへの批判を検討することにあって、市民対国家もしくは国民という可能性を、特に市民に視点を当てて国民に包摂されない把握を考えたんだと思う。自分がそこに関心を持っているのでそう読んでしまっているかもしれないが。市民権と 国家に保障された人権の差異を救い出そうとしている。だから、プライバシーという私的領域のことを無法地帯などと呼んだりしている。男女平等としての女性兵士の問題などが取りあげられている。 後半に配された西川長夫や小熊英二についての書評は、筆が走ってる気がした。西川と小熊では世代が違うし、文章の重ね方も違うけれども、小熊の評価が高すぎではないかという感じ。 本書の書き出し部分に、フランス人女性の「人権という概念はフランスが生んだ概念だが、あなた方はそれを普遍概念と認めるか?」という問いに、樋口陽一は「人権概念はたしかにフランスが生んだ歴史概念だが、それを越えて普遍化されている」と応えたという。これに対して上野なら「人権は特殊フランス的な概念だ。それが普遍性を僭称しながら、その実、普遍性を獲得していないのは、あなた方西欧人が人権を独占しているからこそだ」と応えると書いている。この言い方の違いにまず目がいく。樋口の言ってることは、普遍概念に対して普遍化と言っているから、普遍概念ではないという指摘となる。上野は、普遍概念なんかじゃないとそのまま言い、その責任がどこにあるかを指摘したものである。これは主張の違いもあるけれど、戦略の違いを感じた。 話しが戻るけれども、プライバシーという領域を私的領域として特権化することが各種の暴力を生むという指摘はその通りだと思う。そこに、DVのように公的権力が介入すべきだという主張に賛同するのだが、だが、それは、私的領域の部分的解体であって、私的領域が解体して公的領域に包摂されることでもないだろうとおもわれる。公私という区分がどのように全体として再編されるのかがどうもハッキリしない。この辺の展望が上野の議論からは見えてこないとずっと思っている。(2006.04.06) |
| Magazine289:人間と教育49 |
民主教育研究所、旬報社、1190円と税金。 今号は、発達研究に焦点が当てられている。かつてのピアジェとヴィゴツキー理論のその後の展開を部分的ではあるが示そうとしたようだ。茂木と堀尾の対談が巻頭を飾る。それぞれに有益ではあるが、この所の脳研究の言説に降伏している人には、小児神経学を専攻する榊原論文を読むことを奨めたい。「ゲーム脳の恐怖」の森昭雄らの議論もしくはそれを教育論へと持ち込むことの間違いが指摘されている。 第二特集では教育実践にみる子どもの発達と題され、久田による学習集団論の批判的読み替えなどが提唱されている。第二特集は、特集の意図が拡散的ではあるが、教師には、第一よりも有意義かも知れない。野口の触法少年の凶悪事犯検挙人数のグラフが使えそうだと思った。青少年の凶悪化という主張が嘘であることをそのグラフは示しているのであるが、講義に使うにはちょうどいいサイズ。(2006.04.04) |
| Magazine288:スチュアート・ホール |
ジェームス・プロクター、青土社、2400円と税金。 カルチュラル・スタディーズ(CSと略す)の中心人物の理論を解説した本。解説本だが、研究書だと考えて読んだ方がいい。 CSは、主にポピュラーな文化を対象とすることが多いが、そこに多層的多重的な権力闘争があることを明らかにした。単純に階級に還元したりしない世界の掴み方を提出した。ホールの理論の内でもエンコーディングとデコーディングの理論が私にはとりわけ興味深いものであった。これは、例えば、メディアが提供する映像が客観的な情報を提出しているのではなくて、一定の意味を一連のコードや記号のシステムに位置づけている(エンコーディング)ことを明らかにし、それのエンコーディングされた情報をオーディエンスがデコーディング(解読)し、そのデコーディングは情報の反映ではなくオーディエンスの社会的位置や状況によって再創造されることを示した。この理論は、文化領域だけでなく、教育にとっても十分に参照に値する議論である。 その理論と関連するのがアイデンティティについての議論である。アイデンティティはしばしば、集合的な表象と関連づけられるが、例えば人種、それをホールは、単一に表象できないことを明らかにしたのである。白人は皆同じ、女性は皆同じと考えることが全くの間違いであることを示したのである。こうした点についての掴み方、誰のどのような理論からの影響を受けたと考えられるのかなどが良く整理されている。文献一覧も巻末に付されているので便利。 (2006.04.02) |