2006年8月2日 (水)

Magazine328:生活指導8月号

 全生研編、明治図書、743円と税金。

 特集は、他者と出会い共に生きる世界を地域・学校に、そして48回大会基調提案。

 地域生活指導については、竹内論文が回顧しているような歴史があるのだが、具体的実践としては、岩手の生協と農協が共催した農業学校の記録が先頭にある。なんだが全生研がやってきている子ども会のイメージに、農協らしい農業体験が加わったイメージだ。

 次に平井さんの知的障害者を対象とした大学講座の取り組み。これはかなり刺激的。知的障害者に講師が「先生はお母さんと一緒に暮らさないんですか?ボクはお母さんを一人にして家を出て行くわけにいかない」と言われる。親と暮らすのがよいとばかりは言えないのだが、障害者だから保護される対象と見がちな発想を揺さぶられたことなど記されている。また、学校を出て社会に出て行くというとき、ついつい働きにでるとだけ捉えることの問題も浮上させている。社会の中で多様な世代とであうことの価値が語られている。

 豊田さんは、ボランティア活動の取り組み、佐藤さんは家庭科と地域の人々との交流について実践を報告している。これらは、今年の大会でも報告され検討されるはずなので、その時に議論したい。

 明日からでかけるので今月の更新はこれでお終い。(2006.07.29)


トップページに戻る
Magazine327:寺山修司

 高取英、平凡社、780円と税金。

 もし寺山が高取の評した通りの人であったなら、過激でもアンダーグランドでもサブカルでもなんでもない、旧いタイプの人そのものということになる。(2006.07.27)


トップページに戻る
Magazine326:まど・みちおのこころ

 中村桂子、三田誠広、工藤直子、松原哲明、佐治晴夫、西本鶏介、佼成出版社、1600円と税金。

 「まど・みちおさんとはどんな人?」と聞かれて、詩はいくつか読んだことがあるが、どんな人かを知らなかったので、6人がまどみちおについて書いている本を読むことにした。この本のお終いには、プロフィールもついている。

 そこに紹介されていた詩「するめ」は知らなかった。

 するめ

 とうとう

 やじるしに なって

 きいている

 うみは

 あちらですかと?・・・

 すばらしい。学校の国語の教科書に載っていたものよりずっといい。

 ついでに言えば、これの詩を工藤直子は、自分の中に隠れていた哀しみに気づかされるから好きなのだと言っている。するめの哀しみと自身の哀しみが一緒くたになるのだと。

 「ぞうさん」の詩について書いている三田の文章もいい。子どもが象の鼻が長いという奇異なものへの差別的眼差しを送ったことへの、「そうよ母さんも長いのよ」と反撃しているという読みの突き出し方もいい。総じて、やっぱり本職の物書きの文章の方が面白い。中村は自分のことだけだし、松原は禅の世界に引きつけすぎのような気がする。

(2006.07.23)


トップページに戻る
Magazine325:持続可能な福祉社会

 広井良典、筑摩書房、780円と税金。

 保守主義的な社会論と新自由主義的な社会論、この二つのアンチテーゼを持続可能な福祉社会として対置し、その社会保障論、教育論、年金論、再分配論、環境論などなどを提示した本。

 例えば、教育論の部分では、若者基礎年金論を提出し、20歳から30歳まで月に約4万円支給するという提言をする。若者の社会への参加の時期の遅れや、若者の失業問題などを念頭に提言されている。学校と社会との接続の問題として注目すべき提言だ。相変わらず若者バッシングが横行している中で(先日のNHKニュースでは、小学校の教育でも若者バッシングの教育が岐阜で行われたと報じられていた。当然、NHKは好い教育実践として報道していたが、私は岐阜の教育はひどいなあと呆れた。)、国際的にみても日本の社会保障が最底辺にいることを示しながら、そうした年金があってもおかしくないのだと言っている。こうした点はそうだなと思いながら、その構想については新書ということもあってか深くは追求されていないが、結論的提言の部分はそうだなと思うことが多々ある。ただ、その社会構想とか、社会分析にはすっきりとキレている感じがしない。

 ともあれこの本は、データの取りあげ方と示し方がいい。わかりやすいから使える図表が多いと思う。例えば、社会保障費の国際比較、公的教育支出の国際比較(日本の低さが突出している)、年齢別貧困率(若い世代が近年きわめて貧困となっていることが一目瞭然)、成人の肥満率の国際比較、OECD加盟国における社会的孤立状況(日本は孤立程度が極めて高く、約16%)。こんな数値があることと、その%の高さには驚く。(2006.07.20)


トップページに戻る
Magazine324:「日本国憲法」まっとうに議論する

 樋口陽一、「日本国憲法」まっとうに議論するために、みすず書房、1500円と税金。

 タイトル通りたんに改憲論批判の本ではない。憲法とは、人としての権利1(個であることの「淋しさ」に耐える)、人としての権利2(自由と・公正)、「市民」としての権利、第9条、という5部構成となっている。

 憲法に関する議論を私はそこそこに読んできた。その中では定型化された議論も多い。そうした中で本書は、興味深い叙述となっている。各章の最後は問題提起的に終了している。例えば、「自由の敵には自由をみとめない」?という問題を出して終えている。

 樋口は、日本国憲法の中でどれが一番好きかと聞かれたら、13条だという。フランス憲法を中心に研究してきたリベラリストだからかもしれない。だから、「自分のことは自分で決める」「みんなで決めていいことといけないこと」などという問題の立て方をする。こういう問題の立て方をすると、憲法が俄然身近な問題に及ぶ事柄となる。

 ただ、「自分のことは自分で決める」という原則は重要だと思うが、自分の意思では決まらない問題も多い。反対に、社会が選挙や投票で決めるという形で決めることもあるが、そうした形で決められていないこともある。そうしたことの相互浸透の問題は残っていると思う。例えば、学校に宗教的表象を持ち込ませない法律がフランスで成立しているが、そこでは親と子どもを一旦切り離し、子ども自身が宗教を選択できるようにすると考えることもできるが、イスラム教を主としてターゲットにした抑圧とみるべきだろうし、親権全体を視野に入れないときっと現実的でないと思ったり。

 ではあるが、世界のどのような議論を受けて日本国憲法があるのかを知る上で知的興味をそそられる本であった。(2006.07.17)


トップページに戻る
Magazine323:心脳コントロール社会

 小森陽一、筑摩書房、680円と税金。

 脳化=すなわち情報化社会という養老孟司にはじまり、脳科学ブームの「川島教授」を取りあげたあたりは、脱構築的文章。つまり、肯定しながら、その枠組みからあふれ出ていることがあるさーと言っている。つまり、批判しているわけです。

 本書の一番面白いところは、1章から3章だ。心脳操作の手法を主としてジェラルド・ザルトマンの議論を紹介し、これを批判している。ザルトマンの手法とは、人の意識や認識におけるメタファーやイメージを調査し、そのイメージを喚起しつつ一定のイメージを形成してしまおうとする手法である。脳に集まってくる情報は、1秒間に数百万ビットだそうだが、そのうち意識しているものは40ビットに過ぎず、0,001%なのだそうだ。その意識されていない部分を利用して、一定のイメージ人に形成してしまおうという戦略だ。この手法をブッシュも小泉もその他情報産業は広く利用し、人々を捜査しているというのだ。

 具体的には、京都議定書にある「地球温暖化」という言葉を使用せず、「気候変動」という言葉に置き換えたこと。地球温暖化という不快をすぐにイメージさせる言葉の使用を止めて、ただちには四季の変動程度にしか聞こえてこない「気候変動」という言葉を使うことで、この問題から危機感を消し去ってしまった。あるいはまた、富裕層の減税である「遺産税」を「死税」という言葉に置き換えて、富裕ではない多数の人々にも「死税」がかかるのはいけないと思わせ、富裕層の減税への支持を勝ち取ってしまった例などいろいろ紹介されていく。

 この手法は、なぜと問わせないで、快と不快だけに訴えること、イメージだけで判断させようとしているとその問題を捉える。だから、なぜと問うこと、因果論的に考えること、歴史的に考えることなどが心脳コントロールに騙されない手法として紹介されている。ザルトマンの本を注文しました。脳科学に騙されやすい人が増えているので、気をつけましょう。

 (2006.07.13)


トップページに戻る
Magazine322:ワークショップガイド

 浅野誠、アクアコーラル企画、1333円と税金。

 ワークショップの進め方、ワークショップ的な授業の作り方を解説した本である。これでだいたいワークショップのイメージはつかめるんじゃないだろうか。

 ガイドというだけあって、全体の枠組みはこれでつかめる。子ども向けの事例というよりも、教師が教師同士で行うことを想定した事例が多いので、学校内での研修用にも利用できる。

 本を読むだけなら2時間で終わるだろうが、ここに書かれていることを想定したりしながら読むとそれでは足りない。本書の中に指摘されてもいるが、コーデイネーターは一定の体験が不可欠だと思おう。

 なお、多様なワークショップがあり、その基本形などの紹介は別に執筆予定だそうだから、それにも期待しよう。なお、ワークショップにはそれぞれ狙いがあって、その狙いと、共同創造という矛盾しそうなことがどのような構造を持つのか、これは授業論としても興味深い問題をはらんでいる。(2006.07.10)


トップページに戻る
Magazine321:キー・コンピテンシー

 ドミニク・S・ライチェン、ローラ・H・サルガニク編著、明石書店、3800円と税金。

 OECDのDeSeCoというプロジェクトの報告書の翻訳である。副題には、「国際標準の学力をめざして」と書いてあるが、中を読むと、「学力」という従来の枠組みに否定的な記述がある。

 ともかく、OECDの研究プロジェクトの一つなわけだが、そしてコンピテンスというのは辞書的な意味では能力とか資質という意味だが、誰にとっても生涯にわたって価値のあるコンピテンシーを確定しようというプロジェクトである。多様な分野の研究者を集めて議論したようだ。

 そのデータに用いたものは、各国で重視されているコンピテンシーをその意味や意図などを検討しながら、共通性があるかないかを判断しようとしたらしい。その基準や判断のプロセスは本書に詳細に記されていないので、その妥当性を断定的に議論できないが、その結果は興味深い内容となっている。

 1 社会的に異質な集団での交流

 2 自律的に活動すること

 3 道具を相互作用的に活用すること

 以上の三つをキーとなるコンピテンシーだとしている。

 これらの三つのコンピテンシーを今後さらに実証的にも検証していくらしい。だから、2006年のPISA調査では、新しい調査項目が付与されるらしい。

 ここでも個別的知識の所有よりは活用が、孤立的な所有よりは異質な集団での交流が強調されている点だけは記憶に留めておいてほしいもの。

 なお、くれぐれもこれらの三つについて、OECDは、すべての人にとってと言っており、日本の一部の人が想定するような特定の人にだけ必要なコンピテンシーだとは述べていないことに注意を払っておきたい。日本の文科省は、一部の人にそれを期待する癖があるので、敢えて記してみた。(2006.07.07) 


トップページに戻る
Magazine320:持続可能な未来のための学習

 ユネスコ、立教大学出版会、7600円と税金。

 持続可能な開発と言う理念がユネスコを中心に提唱されている。この提唱を基礎として、その理念に沿った教育を普及するために編集された本である。

 基本的には、持続可能な未来とはどんな社会なのか、人間世界はどんな状態を目指すことになるのか、それはどんな教育となるのかを、教師に理解してもらうことを意図して編集されている。だから、出だしは、この持続可能な未来とは何か、そのための教育とは何かといったことから始まる。その後は、従来の教科の中ではどんなことができるのかに始まり、農業や消費者教育、人口と開発など多くの分野について論及している。

 問題は、持続可能な開発に関する社会論が世界を相互依存ととらえる点にある。誰が誰に依存しているのかという具体論に入ると、単純化しすぎてはいけないけれども、北が南に依存しているという問題がある。世界の消費の大部分をいわゆる先進国が占めている現実を見ると、相互依存論は不当と言わざるを得ない。

 こうした基本問題を持ってはいるけれども各分野の内容構造を考える上では参照に値すると思う。(2006.07.04)


トップページに戻る
Magazine319:戦争の克服

 阿部浩己、鵜飼哲、森巣博、集英社、720円と税金。

 対談本である。最近はやりだなと思う。近代における戦争と国際法の変遷をたどりながら、辿りながらと言ってもそれは対談本だからソフトだが、戦争の克服の可能性をそれぞれがどこに見ているのかを議論している。あれこれ脱線するけれども、戦争の克服の可能性を探すことに議論を集中している点で貴重本だ、と思う。

 鵜飼氏の話は論文などでそこそこ読んでいたので、新鮮だったのは阿部氏の話。国際条約を日本政府がだいぶ締結していなかったり、締結したもののほってあることがよくわかった。例えば、人種差別撤廃条約。これがほって置かれているから石原慎太郎のような差別発言がまかりとっていて、逮捕されない。先日目にした資料だが、開発教育協会の活動事例集にあるワールドカップでネオナチが捜索を受けたりしたニュース記事の意味が再確認された。

 日本は人権最底辺国であることを確認できるので読んでみましょう。

 また、戦争の民営化が進んでいることも取り上げられて、戦闘員と非戦闘員を、兵隊とそれ以外で区別している法律的現状が、世界の動向についていけなくなっていることなども指摘されている。前線と銃後がここでも境界を変えていることが明らかにされている。テロとは、元々、国家によって始まった(フランス革命のとき)が、それがいつの間にか、国家以外の組織や個人の意味に変換されていること、しかし、米英のテロとの戦争こそ本来の意味の国家によるテロとなっていることなども語られている。とりあえず読むといい気がする。 

(2006.07.01)


トップページに戻る