2006年11月1日 (水)
| Magazine359:ジェンダー概念がひらく視界 |
唯物論研究協会編、青木書店、4000円と税金。 今回の議論の特徴は、社会構成主義のジェンダー論の再検討にありそうだ。執筆者同士で綿密に議論したとは思えないが、巻頭の金井論文も、ジェンダー研究・運動の動向をレビューしながら、その跛行的掴み方や議論の陥穽を浮かび上がらせようとしている。その中心は、社会構成主義を土台に据えたジェンダー研究の再検討にあると思われる。 私の関心との関連で言えば、片岡の坂田実践分析にもそのことは現れているように思われるし、バトラーの「承認」についての解釈を中心とした片山論文にもそのことは現れているように思われる。 特にそれは、構築されるものとしてのジェンダーとセクシャリティの問題を、いっそう身体との関連で、それを単に構築物と片付けない枠組みを提出している。ナラティブ論もアイデンティティ論との関係で野口の議論以来ほってあった私としては一歩前進させてくれた論文だった。 中山が「人間力」という議論の志向性を文献解題的に論じている中に、私が上手く表現できていなかった事柄への論及があった点も本書を買ったメリットとなった。それは、だいぶ昔、たぶん春頃、本田の「多元化する能力と日本社会」における専門性の獲得という対案ついて、まっとうなのにこの対案じゃダメだと思った理由がハッキリしたことだ。若者の階層問題や社会的関係性の問題が実際には捨象されていくことによるのかなと思われた。 和田のNHKの連ドラのジェンダー問題の分析など興味深い論考がならぶ。ちょっと高いけどその向きには秋に相応しい一冊。(2006.10.29) |
| Magazine358:「靖国」という問題 |
高橋哲哉・田中伸尚、金曜日、700円と税金。 靖国本は一杯あるが、この本の特質は、富田メモをめぐる報道とその反応についての批判が主題だ。つまり、「天皇もA級戦犯の合祀に反対なのだから、分祀したら」などという議論への批判だ。これを一つは、憲法規定に依拠して批判するのではなく、天皇を持ち出して批判する意識への脆弱性として指摘する。もう一つは、戦没者を国家が追悼するという問題、つまり国家護持の新たな動向として批判する。国立墓地や追悼施設の設置などという議論を、戦争国家に不可欠な施設の設置という方向を向いたものとして批判する。 そういう批判の書としてすぐに読める。(2006.10.26) |
| Magazine357:愛国の作法 |
カンサンジュン、朝日新聞社、700円と税金。 グローバル化の中で愛国心の強要が広がっているという、この状況のつながり方を分析し、国を愛するとは何かへと筆を進める。そこでは、人為と自然の二つに区分されることを示すことから始める。ついで、愛の対象である国家についての検討に入り、国家と国民の関係などを検討する。次に、国体などを検討した後に、愛郷と愛国の違いと連なりを明らかにしながら、愛国の作法を説く。 本書はコンパクトではあるが、国を愛するということの構造が示されていて面白い。まったく、文脈を離れて、著者の意図とも関係なく、思いついたことがあったりして有意義であった。忘れないように記しておくと、感情労働への違和感は、感情労働の対象の側がまさにその労働の対象として一元的に観られてしまうことによるのだなあということを発見した。これについてカンは何も書いていない。 さて、本題に戻ると、この本で興味深い点は、靖国における死者の平等性というか、政治的、社会的な位置が問われないことを強調した点にある。同じように、未だ生まれていない「日本人」の平等性についてそうであるが故に善性となっていることを示したことである。この抽象化され、どこで死のうと同じにしてしまうことの共通性を示したことである。しかし、靖国に祀られた人にはその罪において軽重があることもまた必然。 もう一つは、カンは、愛国心をパトリオティズムとして承認し、それを国家につなぐのではなく、その本来の由来である地域と、国家を飛ばしたアジアという枠組みで捉えようとする。私からすると、そうしたパトリオティズムがないと、地域や国家に関与しようと思わないものなのかどうか疑義があるが、まあ、一つの見地ではあるでしょう。(2006.10.24) |
| Magazine356:「大きなかぶ」はなぜ抜けた? |
小長谷有紀編、講談社、760円と税金。 ブログにも書いたように、出だしは、あのロシアの有名な民話「大きなかぶ」。日本の教科書に載っているそれのもともとの民話がどのようなものであったのかを探った文章で始まる。協力や団結の話では本当はないという。ネズミがかじって抜けたという話しもあるし、遊戯であったことなどが記されている。だから、昔、自民党関係者が避難したことも全くでたらめだが、上記のように主題を捉えるのもどうかなということらしい。 この本、読み物として基本的には楽に読める本だし、世界の民話に関心のある向きには手頃だと思う。ただ、私の関心の有り様からすると、1章2章の文章と4章の桃太郎の話が簡潔でいい。アジアの叙事詩に関わる文章は馴染みが少ない所為もあるだろうけど、推論と主観がいくらか過剰にみえた。(2006.10.21) |
| Magazine355:現代思想10月号 |
青土社、1238円と税金。 今月号は、「脳科学の未来」が特集。最初の茂木と郡司と池上の討議なるものは失敗だろう。仲間内過ぎて、ジャーゴンというか議論の飛躍が大きくて非専門家である私には意味不明な箇所が多い。しかし、次の片山と小松の「脳はいかなる存在か」は議論の位置が見える配慮がとりわけ小松によって行われており、わかりやすい。脳と身体の関係についての議論並びに脳死に関する議論の変化が記されていることも興味深い。脳という臓器の死と脳の機能死の関連、さらに、身体死と脳死との関係に関する知見は、かつての議論のままであった私には刺激的であった。 次のトンプソンとヴァレラの「ラディカルな身体化」も、近年の脳ブームやその土台にある動向に批判的な私としては神経科学の側からの知見として踏まえたいと思った。ここでも身体と脳ならびに意識の問題が統一体としてあること、部分と全体の相互規定関係が存在することが研究結果とつきあわされながら主張されていた。 また、統計的手法による研究の問題点を指摘した茂木の論文も脳科学にとどまらずに受けとめておきたい観点だと思われる。今号は、もっていたいと思われた。余談だけど、本書の中に、ペプシとコカコーラの実験が紹介されていた。ブランド名を隠してどちらがおいしいかを聞くと、8割がペプシを選択するが、ペプシの評定値のたかった人にブランドを示して聞くと4分の3の人がコークを選択したとあるんだけど、どちらももう何十年も飲んだことがない私には選択の基準がないからどうなんだろうという感じ。 (2006,10,17) |
Magazine354:教育基本法改正案を問う |
教育学関連15学会共同公開シンポジウム準備委員会編、学文社、1200円と税金。 今年8月26日、立教大学で開催された第4回のシンポジウムの記録である。当日の報告者、西原博史、小嶋弘道、佐藤一子、広田照幸4氏の発表内容を中心に、教育基本法改正案や各新聞社社説、声明を発表している学会などの資料が付されている。 私の今の関心からすると、西原の報告が一番興味深い。子どもの精神的自由をいかに保障するのかという観点から、検討課題を提出している。教育の内容に関する開かれたコミュニケーションを多層的につくり出すことを課題として打ち出している。教育基本法改正案が国民の持つべき意識の一元化を図るものと捉えられる。これについて、従来の国家の教育権論と国民の教育権論を視野に問題点を指摘していく。一つは、行政が教育内容について一元的に支配するが、教科教育は多様化が前提となっているから階層ごとに異なるものとなり、意識に関わるものだけが一元化されるのではないかと指摘する。二つには、従来、教育行政と教師が子どもの良心の自由について共犯関係があったことを反省的に捉え直しながら、「個人の思想・良心が管轄する事項領域と、個人の自己実現の基礎に置かれた社会的に共有されるべき知識・技能の領域との峻別」が重要だという。この峻別を誰が行うのかについては議論されていないけれども検討したい話しだ。 |
| Magazine353:学習意欲を高める授業 |
日本教育方法学会編、図書文化、2000円と税金。 大半の論文がPISAの結果を受けて、いかなる授業を追求すべきなのかという基本的問題意識のもとに執筆されている。 藤原論文は知識社会論との関係でPISAを位置づけ、社会・数学・理科・国語教育に長く関与してきた木内、小寺、大野、加藤、麻生がより具体化した検討を行っている。とりわけ、小寺の数学教育で取り上げられている応用問題や文章題を出せばPISAのリテラシーとなると考えると全く違うという議論は重要だ。また大野の理科における実験の位置づけについての議論も一読に値する。 それらとは違う角度から浅野のワークショップ論が掲載されている。子ども・参加者による共同創造かそれとも参加者への一方的伝達のワークショップかというものさしで、その性格の区分を行っている。それでもなお、個々のワークショップはその狙いがあって実施されるというレベルの問題については留保されたままのように思われる。 その後に先日学会長となった中野のアメリカの動向、久田の学級論の動向について論文が掲載されている。(2006.10.12) |
| Magazine352:レイシズム |
小森陽一、岩波書店、1300円と税金。 一章は、人種という言葉の発生・発明や異質性嫌悪の発生のメカニズムについて議論している基礎編。二章では、言葉と差別。とりわけ「キタナイ」「クサイ」という差別する側から投げつけられる言葉の使用と機能を検討している。三章では、人種差別主義の言説について、永井荷風の発禁となった「ふらんす物語」を素材に議論している。 人種差別主義は、自己と他者の差異の発見が劣等感を背負い込み、その否認が他者への過剰なまでの劣等性という攻撃になるという仕組みの中でつくられているとする。現代の新たな差別の構造への言及もいくらか含まれている。ここいらは手堅く読ませる。しかし、二章はまた以前に書いた本と同じ論理を使っている。三度目だ。いい加減フロイトの理論をそのまま使うのはやめた方がいいと思う。 最後の章の永井荷風の分析は面白い。永井がフランス留学から帰る途中、西洋に憧れそれらしい暮らしへと同化していたのに、シンガポールにきてアジアに気づく。そのアジアに嫌悪感を覚えるが、そのアジアに他ならぬ自分自身が帰属していることを意識化していくなかで悪感を感じるという構造が、他ならぬ人種主義であり、そのことに自覚的であったのが永井だという話し。それがどのような自覚であったのかはさらに議論の余地があるのかもしれないが、本書で一番良いところはここだろう。しかし、教師には、2章を見ておくと、子どもの「いじめ」の中の常套句を考える契機として良いかもしれない。それにしても同じ話しで三度はないだろう。 (2006.10.10) |
| Magazine351:若者とアイデンティティ |
児美川孝一郎、法政大学出版会、2300円と税金。 エリクソンのアイデンティティ論の元々の意味を辿るところから始めて、現代の日本の若者のアイデンティティにおいて焦点となる意識の在処とその可能性のようなものを社会との関係で論じた本。この間の若者論なども織り込まれているので、いわゆるアイデンティティ論に関心がある人、しかも心理主義的な世界に飽きている人にはお勧めだ。 3章の節のそれぞれ終いの文章は、たぶん、著者の性格を表現しているだろうなと思った。3章では、「・・新しい自分を生き直していくための貴重な出発点ともなるものであろう」。次では、「なんとかやり過ごすのではあるまいか」。次では、「漂流を続けることになるのだろう」。読み込みながら、断定を避け、その避けているところに優しい眼差しを感じる。 ところで、本書は、たぶん、上野千鶴子が『脱アイデンティティ』でエリクソンの理論を構築的なものであったと解体したことに対して、そうであったからこそアイデンティティ論として現在において構築し直そうとしたんだと思われる。 形成論に多少の関心を寄せる者としては、若者にとっての焦点の今を捉える参考になる文献と言えよう。なお、次にたぶん取りあげる本でもエリクソンに言及されているけれど、それと評価が違う。(2006.10.07) |
| Magazine350:全体主義観念の(誤)使用について |
スラボイ・ジジェク、青土社、2800円と税金。 直接取り上げているのは、映画、小説、音楽などを取り上げながら、その制作者と周辺の言説から全体主義の発生、機能、作用を読み解こうとした本。だから、個別作品の特定のシーンについての読み解きなどはユニークな視点で面白い。 しかし、本題はそこにはない。政治システムとしての全体主義の研究というわけではなくて、その具体的現れを、人の行動や思考様式、感情の問題として見ていくこと、あるいはそのレベルから全体主義という言葉の使われ方を見ようとしている本なのだろう。だから、喪とメランコリーの違いと関連、スターリンの時代におけるブハーリンの弁明、ショスターコヴィチの曲の評価をめぐる議論が展開されていく。 基本的に個別の局面を取り出すので、全体として人や曲やその行動や関係をどう捉えるのかははっきりしない。モダンやポストモダンのとらえ方が批判されていく。随所に「ラカンの用語でいうと」等と脈絡なく(私にはそう思えるのだが)入り込んでくるので、いちいち参照が要求される。 (2006.10.04) |
| Magazine349:家庭科再発見 |
堀内かおる編、開隆堂、1800円と税金。 内容は、次の構成となっている。 高校の家族についての実践。これは望月さん。 いのちの授業は中学校の実践。これは西岡さん。 集まって住まうは小学校の実践。これは濱崎さん。 家庭科カリキュラムと授業づくり、ジェンダーの授業づくり、ワークショップの授業づくりを堀内さんが執筆している。 それぞれの実践を古いメガネで見てはいけないだろう。つまり、家庭科というとすぐ思い起こしてしまうような実践ではないのだ。ブログにも書いたように、とりわけ面白かったのは濱崎実践。買って読んで下さい。 堀内さんのワークショップ論も検討したいところだ。そのいいところだけを取り出そうとしていると私は読んでいる。私は他方に問題点を鮮明に描き出しながら、メリットを浮かび上がらせたいという感じ。あれの問題点は、堀内さんと結構共有しているらしい。 (2006.10.02) |