2006年12月2日 (土)
| Magazine369:「つながり」という危ない快楽 |
速水由紀子、筑摩書房、1400円と税金。 ブログの方に記した関心から書店で見つけた本だ。ミクシーなどの各種SNS、そこに構築されている多様なコミュニティの存在。そうしたものに集まってくる階層の志向を拾い集めた一つの同時代論もしくは世代論。 各種オタク、タレントコミュ、ローカルコミュなどでの「つながり」感覚とそこでの快楽の抱える諸問題を比較的軽く取り扱っている本だ。価値の共有が「つながり」の感覚を生み出しているが、実は、そこに多様な格差が隠蔽されていることを本書は示していると読んだ。速水はそこに主眼をおいていないから隠蔽された格差について解明する方向には向かわないが、事例を読みながら私が受け止めている事柄は、「つながり」とは幻想ではないかという問いかけだ。 速水の基本は、つながりが分断されてきているが、他方で上記のようなつながりをつくる人々が登場していること、しかし、そのつながりが商売のネタにもなっていて利用されていること、にもかかわらずつながりを求める動きはとまらないだろうこと、だがそれはつながれているかどうかを含めて怪しい実態があること、そうした社会状況をつくりだしたことに責任のある人たちがのさばってんじゃないか、という話しだ。 若干のSNSに参加してもいるので、振り返ってみたい気もした。(2006.11.28) |
| Magazine368:人権と国家 |
スラヴォイ・ジジェク・岡崎玲子、集英社、720円と税金。 ジジェクの文章はわかりにくいものが多いから、対談におけるやり取りでその言わんとするところのニュアンスや日常におけるモノゴトへのスタンスを掴みやすいかもしれないと購入。その期待には応えてくれた。 それがよく分かったのは、古典的なカトリック信者の家の造りをしているアメリカの「マルクス主義者」フレデリック・ジェイムスンについての話題の部分だ。ジェイムスンの宗教・ジェンダーとの齟齬についての指摘はまあ妥当だとして、自身の住み方は集合住宅で干渉されずに暮らしたいという。その場合、それでも集合住宅でとして周囲に人がいることを希望しているらしいことが述べられていた。この感覚がなんとなくこの人を想像させた。 本書は、タイトルどうりその論じられ方をいくつも提出しながら、その論理の抱える諸問題を切り出して見せてくれる。そういう意味で論理の発見がいくつもある。例えば、死刑制度の廃止に反対だと言ってみせる。「被告に完全な責任があるわけではないから死刑制度反対」という議論に対して、個人の責任能力を奪い逆に管理社会化を促す議論だと指摘する。本当は、この議論に保留や注釈がいくつかあるのだが、そんな議論が続く。だから面白い点も多い。 しかし、岡崎は、言っていることを理解しつつも、ジジェクの主張に賛同していないと私は読んだ。どうなんだろうか。(2006.11.25) |
| Magazine367:教育のシナリオ |
OECD教育研究革新センター編著、明石書店、3800円と税金。 本書は、OECDの教育改革シリーズの第一巻にあたる。本書の特質は、教育改革をいかに計画し描くかということ、それ自体の研究を目的にしている。 シナリオ法と呼ばれ、その手法が前半の6章まで記述されている。ただしこのシナリオ法が確立しているかというと、けっしてそうではない。起こりうる未来についての予測と、その予測がどのような要因によって引き起こされ、その要因の変数の発生確率を推定することで、いくつかのシナリオが描かれ、その中の最善のシナリオを改革の方向や像提出しようという計画論だ。 冒頭の章は、シナリオ法の由来やいくつかの手法が略述されているが、その変動要因を新自由主義的な原理を自明の肯定的価値と見て設定している。だから、自ずと描かれるシナリオの方向はひどく偏っている。また、世界の見方についてひどく粗雑に見える議論を展開している気がした。特に1章から3章の論者は粗雑に見えた。中盤から後半の論考の方が参考になる議論があると思われる。 ところで、シナリオ法というのは、従来のプランニングの手法と違って、原因に対する対策をすべて決定して起こるべき結果を確定するのではなく、変動要因を導き出しながらも、それに対する確定された対策を打ち出すというのではなく、不確定な要素を含みこみながら、描かれた未来像にいたるプロセスを柔軟さを保持しながらつくり出そうとするもののようだ。だから、一つ一つを詳細に確定していくということはしない。先日テレビでも放映された「デイアフター・トモロー」の氷河期の予測のようなものだ。 本書の後半は、イギリス、オランダ、ニュージーランド、カナダのいくつかのプロジェクトに関するシナリオが実例として検討されている。一番最後の章では、それらの総括が行われ、シナリオ法それ自体への否定的評価も記述されている。この計画論の欠点は、その変動要因それ自体の妥当性と変動要因自体の分析的研究が十分に位置づけられないとうまくいかないことを示しているようにとりあえず思われた。 それでも、諸外国改革の進め方のシナリオの方がずっと多様な立場の人のことを考慮していることだけはわかった。日本の場合にはトップダウン方式のみが採用されているからだ。それは成功しないとも書いてあった。(2006.11.22) |
| Magazine366:にごりえ・たけくらべ |
樋口一葉、新潮社、362円と税金。 演劇を見に行くことはできなかったので、せめて一読しておこうということで読んだ。この文章は、現代語ではないので読みにくい。ことばそれ自身が旧いからだ。ただ、その言葉とリズムはどこかに聞き覚えがある。たぶん、それは、古典落語の言い回しだったり、浪曲や義太夫あるいは歌舞伎のセリフのような言い回しなのだ。また、樋口の文章の句読点は、今日の常識とは違う。今日の通例では、句点であるべき所が読点になっている。段落の終了に句点が打たれているのみだ。だからまた、語り手と登場人物のセリフが、交代していたりする。こういう文体も、一人が語る演芸の手法との近さを感じさせた。 そういう言い回しにもかかわらず、樋口を評した言葉としてしばしば使われる「淡く密かな恋」とか「人生の哀歓」という言葉は、間違ってはいないと、珍しく思った。 (2006.11.18) |
| Magazine365:クリティカル・シンキングと教育 |
鈴木健・大井恭子・竹前文夫編、世界思想社、1900円と税金。 考える技術・表現する技術としてのクリティカル・シンキングの歴史と動向ならびにその意味を記した前半。後半は、その技術を具体的に示してみたものの二つから構成されている。 起源や歴史の部分ならびにその意味に関する部分は、あれもこれもと飲み込んでしまっているような表現がなくもない。藤原正彦を持ち上げてしまっていたりして信じられない議論が導入されていたりする。 だが、クリティカルシンキングは、思考の手続きの側面としてある程度定式化できる部分とそうでない部分があるのだと思う。そのことに自覚的でない論者もいるように思われた。それは、過度にその意義を強調する点に現れているように思われた。 例えば、その限界というのは、その手続きを具体的問題や状況に即して適用しようとすると、実はその思考の担い手の立場性とその領域に関する知に制限されるのだが、そのことに無自覚だということだ。同じ程度の知の水準であった場合に、そのスキルを用いることができた方がより説得的になるという程度に考えた方がいいのだ。だから、無知なままでクリティカルな主張が生まれるわけではないのだ。また、実践編を見れば分かるように、当たり前すぎることも技術として並べられていたりする。 なお、異文化理解に関わる研究に携わっている人が多いようだが、文化の複合性とか多層性ということをより強調する立場と、文化の境界を他方で強く明瞭に前提としている人がいるようだ。 また、こうしたクリティカル・シンキングをスキルとして定式化する動向が存在するのだが、これに乗っている人には、そのスキルの教育に熱中するよりも、取り上げられるテーマそれ自体を考えることへと誘う、そのことを中心課題とすることを期待したいと思う。 これは、批判をするために読んだ本。(2006.11.16) |
| Magazine364:生活指導12月号 |
全国生活指導研究協議会編、明治図書、743円と税金。 今号は、子どもから学び子どもと出会う、そして夏の大会特集。特集として内容が分からないネーミングだ。しかし、いくつかの実践記録の気分としては、その基調の気分を表してはいる。 さて、今号で読むべきは、中山ゆっきの実践とその分析の文章。若い教師の実践報告だが、どこが見えていなくて、どこに注目したら実践世界が広がってくるのかを比較的明瞭に示してくれている。 もう一つは、竹内論文だ。かつての「自分こわし自分づくり」におけるもう一人の自分について、つまりアイデンティティについて、それと他者との関係のについての議論をしている。昨日のブログに触れたことと関係する。他者は、支配的他者としても自己のうちに侵入してくる存在でもあり、これとのどのような関係を取り結ぶのかについては慎重な実践的アプローチが必要だ。なお、関西グループの本と、常任委員会編の本のトーンの違いについての端的な指摘もある。実践のトーンの違いとしてもよく分かる表現であった。中身は本を買って読んで下さい。 (2006.11.14) |
Magazine363:ことばの力・平和の力 |
小森陽一、かもがわ出版、1700円と税金。 本業の近代文学と9条の関連をというか、樋口一葉、夏目漱石、宮澤賢治、大江健三郎の四人の作家の作品を一・二冊取り上げて、それを平和や戦争についての人の認識に関連させて読み解いた講演記録を集めたもの。 樋口ではにごりえとたけくらべが取り上げられ、時代を描いているのだということを示す。にごえりえでは、日清戦争を背景に人間を取り巻く生活環境、女という商品の暮らし方を描いたのだと指摘する。 夏目漱石では、これが一番やっぱり多岐に渡って指摘されているが、草枕を日露戦争の時期と重ねて読む。例えば、20世紀の文明論を汽車に仮託して、個人の主体性や自己選択など一切許されていないことを語っていたなどと提出していく。 夏目漱石が戦争から逃れるために北海道に本籍を移していたこと、イギリス留学中に大家といっしょに夜逃げしたことなど、本職としている分だけ話題がここは豊富。 個人的には、時代と関わらせて文学作品を読むというその手法を参照するために買ったわけだが、その作品を読み解く部分はなかなか面白い。なお、北海道に籍を移したので漱石だったわけだと納得。大家となぜいっしょに夜逃げするかは本で確かめてください。 宮澤作品としては、烏の北斗七星が取り上げられ、人が変わる話をしている。大江では、初期作品を中心に「あいまいな日本人」がそこに既に取り上げられていたこと、その曖昧さを越えていくことばを課題化している。 (2006.11.09) |
| Magazine362:歴史地理教育11月号 |
歴史教育者協議会編・発行、648円と税金。 11月号は、日本の税金が特集。税金とは何か、現在の税金の基本問題、直接税と消費税の関係をめぐる論点が示されている。かなりわかりやすい文章と言っていい。惜しむらくは、税金の学習をめぐる近年の実践動向の批判や対案となるような実践構想などが配置されるといっそう優れた特集の編成となっただろう。 以下、小中高校の教材研究あるいは実践記録が並ぶ。この中でまず目にとまったのは、間森実践。江戸後期の学区の絵地図を町人と武士の家を色塗りして見ると当時の階級的性格が見えてくるという記録などが並ぶ。間森論で強調されていたのは、子どもに問うとき、「なにがわかりますか?」ではなく「何が見えますか?」と問うことだと指摘していたこと。後者の問い方の場合多く子が発言し深めていくことができるという。発言させる技術というよりも、具体的情報から抽象化された知への道を焦らず発見させていくことが重要だということなのかもしれない。だとすると、問いがそこから始まったとして、その後の指導言についてはどうしているのかも聞いてみたい気がする。 また、学校における著作権の保護・管理・行使の問題について、弁護士の神谷がコンパクトにふれているので、コンプライアンスという観点からも一読に値する。(2006.11.07) |
| Magazine361:国語授業の改革3 |
科学的『読み』の授業研究会編、『この教材で基礎・基本としての言語スキルを身につける』学文社、2300円と税金。 この本を購入したのは、当然、スキルとあったから。本書がこのタイトルとなったのは、教育評価が絶対評価となったことに動機づけられている。私のブログに先に触れたように、今教育界でスキルが流行るのは、この評価問題と連動している。教える内容を明確にしてその到達度を可視的に掴もうとしているわけだ。そのために、行動主義的な誘惑にのってスキル論が流行るという構図が一つある。もう一つは、学校評価、教師評価の動向と連動している。今回は後者については関連があるけれどパス。 さて本題。 本書では、スキルの定義がない。この団体の代表らしい阿部の論文にも定義がない。国語科の教科内容としての「読み・書き、聞く・話すについての方法・技術がある。それを『言語スキル』と言い換えることもできる」(7頁)となっているだけで、その後は、説明文の構造・論理・吟味を捉えるスキルに分けられた個別の内容が並ぶ。 上記の阿部の場合もそうなのだが、教科内容としてそれは「知識」と言ってもいいようなものと、技能にあたるものとが混在している。例えば、「前文の役割には、1問題提示 2導入 3前提条件の提示 4結論 などがある」と書いてあったりする。これは、知識と言い換えてもなんの差し障りもない。他方、「同じ語彙・表現で示されていることがら(事実・概念)相互に不整合はないかを吟味する」というものがある。これは、技能と言ってもいいだろう。 こうした、差は、本の書の中で絶えず登場する。つまり、教科内容レベルのとりわけ知識として表示したものを教える授業記録を書いたものと、技能を取り出しそれをいかに教えるかを記したものの二つである。これは、ほんとうは大きな違いかもしれない。 また、スキルというレベルで記したからといって、それが理解されているのかどうかは別の問題のようでもある。 また、そうしたこととは別に、それをスキルとして定式化し、教える内容としてしまっていいかどうかはさらに別の問題のようだと言うことが分かる。(2006.11.04) |
| Magazine360:村上春樹論 |
大塚英志、若草書房、2400円と税金。 先日、カフカ賞を受賞してしまった村上だが、この大塚の本を読むと、カフカに値しないと思う。その少し前には、ノーベル賞候補等という話題も登場していたが、受賞しなくてよかったと思う。これは、小森の村上春樹論の影響もあって、ノーベル平和賞という部門を抱える表彰機関としては村上に受賞させるのは相応しくないと考えていたからだ。 さて、大塚の村上論は、簡単に言うと、村上の文学というものがジャンク文学だということにある。ゴミの寄せ集めだということにある。どこから持ってきたかをかなり並べてあるのでなるほどと思った。 こうしたことを、江藤淳、庄司薫、村上龍らとの対比において論じている。書く理由もなく書く文学者であり、自閉的世界を世俗的に応答している文学者だ、と大塚は言っていると私は理解した。村上がカフカ賞受賞に際して「カフカからは多くのものを与えられた」と述べたと報道されているが、そういう風に言うタイプだと納得。大塚自身は、本書の後半にいくと村上を評価しているかのように記述している。しかし、それは、まったく反対に読めてしまう。 対比の中で、村上龍は現実の出来事をモデルに作品を記してしまいたくなる作家だが、村上春樹はそうではないという話しなど対比として説得力を持っていると思う。 (2006.11.01) |