2007年1月2日 (火)

Magazine378:国家と祭祀

 子安宣邦、青土社、1900円と税金。

 同じ名字だから読んだわけではない。この著作があることは前から知っていたのだが、こんな年となってしまったので、読むことにしたわけだ。つまり、教基法が変えられてしまって、伝統やら愛国やら郷土などと持ち出されるので、元思想史学会の会長で、この分野のトップランナーの考察を学んでおきたかったわけだ。

 本書は、神社とりわけ靖国と伊勢神宮といった天皇と軍国にとって特別な意味を与えられ、日本の日本たるゆえんとして語られる言説についての批判の書である。とりわけ、国家神道のその擁護者あるいは擁護者というよりは客観主義者を偽装する保守論客の思考の様式を批判した論考によって構成されている。

 例えば、伊勢神宮の式年遷宮において、その建築様式が起源へと回帰しながら新に築造されているかのような議論があるが、そうではないことを論証する。あるいは、1933年に日本に来たドイツのブルノ・タウトによる「日本美」の発見を、それが、1930年代のハイデガーらの保守革命言説と軌を同じくするものであることを論証していく。ドイツ人によって発見された「日本美」を保守派が日本の美として讃え、それが他ならぬ西洋保守派言説だったというこのアイロニー。こうした氏の議論は、それぞれの言説にまつわる知見もそうなのだが、それよりも思考様式や研究仮説の立て方などにおいて学ぶことの多い著作だと思った。間違いなくお勧めの一冊だ。(2006.12.27)


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Magazine377:生活指導1月号

 全生研編、明治図書、743円と税金。

 今月の第一特集は、「共に生きる世界をひらく」。第二特集は、「教育に臨時はない」。第一では、ダウン症の子と暴力的なトラブルをくり返す子の記録が二つ。そして、過疎地での地域と自分たちの未来を学ぶ記録、そして授業妨害と荒れの学校を参加と自治の学校へと取り組んだ中学校の記録が並ぶ。私の今の関心の在り所からすると、中学校の門馬実践が大変示唆的だ。それは、この地域がマクドナルドやケンタッキーから出店を断られた地域だということにある。中学校社会科の教科書には「ハンバーガーショップの経営者になろう」という頁があるが、そうした枠組みがそもそも成立しない地域であることを中学生が気づいていく。この部分は、大変興味深い。なぜかを私の視点からいうと、上記教科書のアクティビティのその問題構造を示すと同時に、授業構想にとってなにが重要なのかを明瞭に示しているからだ。小川実践にもこれと共通する部分がある。

 第二特集では、臨時教員あるいは臨時職員問題の現代的意味を考える上でそこに示されている数字と臨時教員の思いを聞き取る必要がある。この記録と教員表の動向を紹介している小島論文は重ね合わせていく必要があるだろう。

 竹内論文は、読み解くと読み開くの違いを論じている。これは前から時々口にしていた話しだが、文章化したもの。(2006.12.23) 


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Magazine376:他諺の空似

 米原万里、光文社、1400円と税金。

 テレビで紹介していた本で、書店で目にとまり購入。

 前書きにあるように、各エッセイーの冒頭は、下ネタとガセネタ風に入る。その後は、それらのネタの論理に関連した世界の諺がずっと並ぶ。そして、その諺に引っかけてブッシュの言動が切り裂かれる。ついでに小泉のポチぶりに言及されていく。

 読みながら笑みが何度かこぼれてきた。ブッシュ夫妻が何度逮捕されたか、いくつの会社を倒産させたか、パパにいくつ面倒を見てもらったかということが並ぶ。そして、何一つこれまでに成し遂げたことがないのがブッシュだと結論され、誰かに面倒を見てもらわないといけない人物であったが故にアメリカ大統領になれたのだと終わる。

 つまらないことがありそうな日やあった日にはすばらしい読み物だ。また、諺における世界の関連やその起源についての知識には驚くばかりだ。原典の原典とたどるその追及の仕方がすばらしい。(2006.12.20)


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Magazine375:エンカウンター・グループ

 カール・ロジャース、創元社、2400円と税金。

 これは、仕事用に読んだ本。著者は、言わずと知れたガイダンスの第一人者だった人。研究の後半は、来談者へのガイダンスではなくて、エンカウンター・グループの研究と臨床活動に重点を移動させ、日本への影響も大きい人だ。その方のまとまった著作ということで研究上のフォローのために通読。

 私は、この手法の教育への導入の問題を検討しているわけだが、日本のマニュアル本より、ロジャースの方が慎重に考えている部分があることを確認した。後半にいくと、有効だという文章の連呼となっている傾向があるけれども、それでも、この手法をロジャースは小学生に試したことはなかったらしい。日本じゃ小学生にこれを導入してしまっているけどどうなんだ、という感じ。さらに、やっぱりエンカウンターと実生活の関連は、この本のデータではまだ未解明状態にあるように思われた。主観的意識と、実生活における事実としての対他者関係が区別されてフォローアップされていない。

(2006.12.18)


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Magazine374:問題解決のための「社会技術」

 堀井秀之、中央公論新社、680円と税金。

 著者は、社会技術という概念を打ち出し、その普遍性を確かめようとしているらしい。「社会技術とは、社会問題を解決し、社会を円滑に運営するための『技術』である」。問題を解決することが目的の技術であり、特定専門領域にとらわれない研究を特質としていると定義する。

 例えば、社会問題の認識、社会技術の立案、社会技術による社会の変化予測、予測される社会変化の評価、こういう一連の問題解決モデルが社会技術の一つでもあるわけだ。

 問題は、見ようによっては、それなりに該当するから技術と言えなくもないが、しかし、個別の進行段階毎では専門領域の知見が動員されていて、このモデルが不可欠となるのかどうか必ずしも鮮明ではない。つまり、外れてはいないが、技術と言うほど定式化できるものかどうか、そこがハッキリしない。

 しかし、国際的には、こうした研究は一部で注目されている。その一つとしてデセコで利用されている。しかし、まだまだ未成熟な分野という方がいいと思われる。

(2006.12.15)


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Magazine373:グリム童話の世界

 高橋義人、岩波書店、700円と税金。

 グリム本はいっぱいあるが、本書の特質は、童話の元となった民話をその社会的歴史的状況と関わらせて読んでいることにある。だから、これは、童話を深層心理学的に読む動向への批判となっている。したがって、そういう風に読みたい人は是非読んで反論を考えてくれるといいと思う。

 メルヒェンの定義が少々堅すぎる気もするし、その定義でなぜいいのかはずっとわからないけれど、そして自然との一体化についてのある種に日本主義というんだったかーそういう臭いがするけれども、私の通勤一往復半で読了。気分転換にいいかもしれない。

(2006.12.12)


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Magazine372:「お墓」の誕生

 岩田重則、岩波書店、700円と税金。

 何でまたこういう本を読むのかと思う人がいるかもしれませんが、これが意外に私にぴったり来る本だった。

 本書は、題名が示すように、お墓とは何か、それはいつからどのような意味を込めてつくられてきたか、その歴史的な変化を写真付きで解説した本だ。お墓にまつわる常識が、実は、常識でなかったことがたくさん記されている。本書は、柳田民俗学が柳田の常識を基準とした判断がたくさんは入り込んでいることを批判すること、それが一つの目的だ。この点も私の趣味と一致してしまう。

 私の生まれた地域にホントに近い所のお盆の行事が取り上げられていて、通例、両墓制と単墓制の間のように見える行動の位置が初めてわかった。つまり、遺体埋葬地点は山の中にあり、そこには板の卒塔婆は立てるが石の墓は立てない。寺の境内の中にその家縁の石塔があって、盆の墓参りはその二つに詣ることになっている。本に書かれたとおりの行動ではないのだが、かなり近い盆の行動が今も行われている。

 墓と言えば決まっているではないかと私も思いこんで読み始めたのだが、遺体埋葬地点なのか、その地点を示す施設なのか、その近くに建てられる石塔なのか、それとは離れた地点に建てられる石塔類なのか、と問われてさてどれだ?と考え込んでしまった。

 本書の結論の一番面白いところは、たぶん、140頁付近にあって、○○家先祖代々の墓という石塔が「墓」として意識されるようになったのは、近代のことで、昔からのことではないという結論だ。また、檀家制度が政治として強制され、葬式仏教が普及するに連れて、死ぬことの文化が構築されてきたという趣旨の文章だ。つまり、墓は霊魂を祀る場所という常識が存在しているが、実は、身体についての政治の場だという指摘だ。だから、最後の章には靖国の問題も取り上げられている。(2006.12.09)


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Magazine371:とびこえよ、その囲いを

 ベル・フックス(里見実監訳)、新水社、2800円と税金。

 アフロアメリカンのフックスは、フレイレの影響下にあるフェミニズム文芸批評家。その教育論が本書。本書の特質は、「関与の教育」という構想を打ち出していることと、フックスの大学における教育実践の考え方とその一端を語っていることである。

 「関与の教育」=Engaged Padagogyは、自分や他者あるいは社会に関与すること、それらを意識化しそこに変革的に行為していくことを指す概念らしい。より具体的には、学生に自他あるいは社会についての自分なりのとらえ方を語ってもらい、それを相互に学びの資源として対話していき、互いのとらえ方を意識化し、変革的に捉え直すことをめざす教育活動を指しているようだ。

 この時、学生たちを主体とした集団を学びの共同体と呼んでいる。学生たちは単に教えられる存在ではなく、また、無色透明な存在でもなく、階級や階層、人種や性、多様な文化の担い手として存在していると捉える。そうした諸属性において多様な抑圧を抱えた存在として捉えていく。そうであるが故に、学びの資源となると捉える。問題は、そうした抑圧の歴史故に、語ることができない学生たちを語ることのできる存在へとケアしエンパワーすることだと捉える。

 ここではさらに考えるべきことがあることを感想として記しておきたい。関与=アンガージュマンという概念だ。おそらく、自己の自由な観点から社会的な問題に積極的に発言・参加しようとするサルトルの概念を引き継いでいると思う。言葉の語義にもう一つ契約という意味があるように、それを相対化することなどさらに検討すべきことがあるように思われる。

 なお、本書を見ると、アメリカにおける大学の教育実践がきわめて階層化されていることがわかる。また、米国においても語る学生と語らない学生がいることなどもわかる。大学教育をめぐるある種の偏見が本書を通じてはらい落とされる部分があると思う。

 (2006.12.07)


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Magazine370:コドモであり続けるためのスキル

 貴戸理恵、理論社、1200円と税金。

 小学校時代に不登校だった著者が、大人になるための道筋について語られる言説を乗り越える言説について、中高生向けに語った本。大人になるためには学校に行って勉強しなければならないとか、能力主義という平等に見える競争にはのらないといけないとか、ジェンダーバイアスにかかった話について論じている。

 私としては、タイトルへの何か新しい論じ方があることを期待して読み始めたので、その点では十分とは言えない読後感となった。しかし、「コドモであり続けることは楽ではけっしてない」とか、「将来のために今頑張るという考え方は近代の産物」という指摘などは、そうだよねと首肯できる。特に、「生きづらさを媒介にして社会とつながる」そういう道があるという辺りは共感する。

 ただ、社会学を専攻しているらしいんだけど、引用した小杉さんたちは怒りの矛先を向けるべき人たちじゃないのか。つまり、格差社会論を肯定し、若者バッシングの側だったり、懐柔策や偽の対策を打ち出している人たちじゃないのかなと思ったりするので、その議論をそのまま持ってきていいのかとおもちゃったりした。(2006.11.28)


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