| Magazine397:世界から貧しさをなくす30の方法 |
田中優、樫田秀樹、マエキタミヤコ編、合同出版、1300円と税金。 NGOやNPOで世界の貧困に向き合っている人たちが自身の見てきたこと体験してきたことをベースに、貧困をなくすにはどうしたらいいのかを提言した本。 現代的課題の一つとされる世界の貧困と、日本の支援のあり方を問うている。本書には、未だに続く人身売買、企業利益のために軍隊が動員され虐殺がくり返されていることなどが事実の問題として示され、ボランティアや善意が必ずしも初志とは違って機能する事実なども示されている。 私にとっては、ネコ缶、政府開発援助の問題、アルミ缶の問題などは既知の話題ではあったが、その既知の話題の中にも見落としていた出来事や問題のあることを見つけた。識字教育のためにお金が投入されると、字を読めない途上国の女性というレッテルと共に自己否定感を拡大に寄与してしまうなどという事実は重要な記述であった。 解決の方法としては、きわめてささやかな提言からグローバルな提言まで本書には含まれている。グローバルなものとしては、上村の3つの提言がそれだ。一つは、食料の自給自足を目指すこと、二つは企業の社会的責任を果たさせること、三つは国際課税だという。それぞれ、部分的ではあるけれども既に進行しているという。国際課税という動向について私は十分な情報を持っていないことに気づいた。 どんな解決策が有効化は議論があるだろうけれど、それぞれ検討に値するし、何より貧困への想像力を広げてくれる本として揃えておきたい本だと思う。(2007.02.28) |
| Magazine396:のだめカンタービレ17 |
二ノ宮知子、講談社、390円と税金。 暮れに終わったドラマの原作、最新刊。同僚のピアニストによれば、このマンガとドラマ人気のお陰で、撮影場所となった音楽大学の受験生が増え経営が安定し、さらに、クラシックに人が集まるようになったとか。 さて、最初は、デートDVのマンガかと思われたこのシリーズも、フランス留学中の生活へと舞台が変わると共に、DVが減少し、オーケストラと指揮者の再生と成長物語へとその基本形を明確にしてきている。17はその典型。ささやかな出来事によって、揺れていく失敗の積み重ね方がたぶん面白い点なのだろうと思う。 ただ、最初から気になっていることは、このタイトル。タイトルでは、のだめが主人公のようだが、本当は真一だ。のだめは、スーパー・バイザーみたいな位置におかれることがある。それって、どうよ、という感じ。それとも今後の展開は変わるのだろうか。 (2007.02.26) |
| Magazine395:漢字伝来 |
大島正二、岩波書店、740円と税金。 中国の漢字が日本に入ってきて、その読み方、書き表し方の変容の過程をデータと共にコンパクトに解説しようとした本。コンパクトといってもそこは門外漢には意味不明なことが多々あった。大島には長年研究してきた故にであろうが、漢字の日本語化と漢字という言語表記手段への特別の思いがあるらしく、各所にそれが滲む。例えば、お終いの部分を、音声言語に比べて文字を二次的なものとする見解への批判で締めくくっている。 変容の過程について、データとして確認できることを大切にしていることはわかった。ただ、当時の日本語なるものがどのような言語であったのかは、実は、ちっともわからなかった。日本語の音韻構造が二通りあることや、中国語の音韻構造との違いなどには論及されているのだが、では、各時代の「日本語」はどのようなものであったかがわからない。今と同じとは思えない。こんな指摘をするのは、いつだったか、縄文人だったか弥生人だったかの言葉を再現したという声を聞いた記憶があって、何を言っているのかがさっぱりわからなかったことによる。 また、物的つまり文字記号として残されているものを参照しているが故にだろうが、中国や朝鮮との交流がきわめて狭く捉えられているように見える。今日の歴史研究の動向からすると海の人びとの交流があったと考えられており、そこでは言葉の交流も想定すべきだし、日本というときの言葉も多義的であったという前提が必要な気がした。 それでも、本文中にある例示は、なんかのときに使えるみたい思った。たぶん、私にはなんかの時が発生しないだろうけど。(2007.02.23) |
| Magazine394:マンガの国ニッポン |
ジャクリーヌ・ベルント、花伝社、2000円と税金。 表題を見るといわゆるマンガ論が展開されていると思ってしまうかもしれないが、そうではなくて、マンガという媒体の文化の記号論的分析だ。 高級文化と大衆文化という二区分論の日本における展開をマンガを中心に展開し、次いでドイツにおける文化論を定規として検討している。特に、マンガを図像として位置づけ、だから、効果の美学という表現を用いていたが、その文字文化とりわけ高級文化と大衆文化という二項区分論に陥らない道を探ろうとしているようだ。 佐藤和夫の解説にあるように、ドイツ統一後を研究者として出発したその体験が分析に反映しているように思われる。だからまた、近年のドイツ文化論的まなざしをいろんな所に感じられて興味深い。ただ、やはり、その文化の可能性を今どこに見るかというとなお課題があるように思われた。(2007.02.20) |
| Magazine393:生活指導3月号 |
全国生活指導研究協議会編、明治図書、743円と税金。 今月は、子どもはなぜ荒れるのか、そして、「いじめ」問題を考えるが特集。「いじめ」問題は昨年来話題となっているので、そのとらえ方と対策の動向を批判的に捉えるべく特集されたのだろうと思う。能重論文が「いじめ」の定義から「継続的」などの言葉を削除することの積極面と他方であらゆる事柄が「いじめ」となって取り締まられていくことの危険性を指摘している。楠論文は、いじめの心理的構造を今の状況との関係で描き、いきづらさからつながりを生む実践へという方向を示している。 第一特集は、橋元実践は無法状態の小学6年生のクラスを担当し、親たちの子育ての困難と学校不信の中で、教師と親・親と親のつながりを茶話会などを通じてつくりだしていったというものである。孤立している親同士をつなげることに注目しているところが一つの特徴だ。学年・学級にトラブルがあるということは、親同士の関係がうまくいっていない可能性が極めて高いから、この取り組みは参照に値する。もう一つは、子どもとの関係づくりにおいて、子どもに「できる」ことを一つ一つつくり出しながら、子どもの声を聞くことがその中心となっているようだ。ただし、子どもの声の中身、親の声の中身がハッキリしない。この声をめぐっていかなる対話がなされたか、そこが気になるところだ。 もう一つは中学校の河瀬実践。成績最上位層が私立中学に行き、その次がより落ち着いたとされる公立中学に行き、その二つに含まれない層が入学してくる学校での大変な状況が描かれている。照本論文にいう「生のホームレス化」状況と重なる。河瀬実践は、ここでも保護者との関係づくりを重視している。そして、子どもを活動に誘うことを基本にねばり強く展開している。 これについて本田が河瀬実践に共感しつつ、応答関係をどうつくり出すのかという批判的コメントを寄せている。この批判の観点と連なるかもしれないが、子どもがプリント学習だと乗ってくるという事実を「わかりやすく基礎を教えてくれ」という要求として理解している。そういう要求が確かにあるだろうと思うが、生徒のわかる世界はどのようなものとして描かれて行くことになるのかを問う必要があると思う。既に、三層構造の最下層に位置している中で、以下に生きるかを希望と共に開く学びが必要だと思う。(2007.02.16) |
| Magazine392:思想としての<共和国> |
レジス・ドゥブレ、樋口陽一、三浦信孝、水林章、みすず書房、3200円と税金。 ドゥブレは、ゲバラと共にゲリラ活動をし、後にミッテラン大統領の下で外交顧問を務めたフランスの作家。この人の冒頭の文章が読みにくい。それで、去年秋に買ったまま途中でほってあった。それをブログの動機によって読むことにした。ドゥブレの論文は、「あなたはデモクラットか、それとも共和主義者か」というもの。この場合のデモクラットというのはアメリカの自由主義者のことをさし、共和主義というのはフランスのそれを指す。共和制においては社会が学校に似ていなければならず、デモクラシーにおいては学校が社会に似ていなければならないとする。その意味は、共和制においては自分の頭で考え判断する市民を育てることにあり、デモクラシーにおいては労働市場にみあった生産者を育てることだからだとする。強烈なアメリカ批判だ。また、国家の編成原理の違いをそもそもの由来から考えており興味深い。 ドゥブレの議論は、その後に続く三浦との対談でいっそう明確になり、水林の論文でいっそうハッキリしてくる。最後に、憲法学者の樋口陽一を加えた鼎談が配置されており、公共圏を今の日本に対応させて構築する意味が鮮明となる。 フランスにおけるイスラム教徒の女子生徒のスカーフ問題に対する態度が共和制の意味を鮮明にする。神の権力を排除するところに共和制が生まれ、公共圏から宗教性を徹底して排除する。故にスカーフ禁止となるわけだが、この公共圏も時代の限界をもっており、今の社会状況を反映した共和制へと発展させる必要性を水林は指摘する。つまり、スカーフ問題を考えるフランス的共和制もキリスト教の枠組みからのものであって、ムスリムを含んで考えると新しい公共が必要となるだろうというわけだ。この論理と構造には学ぶべき点が多い。私ははじめて共和制ということの意味が見えてきた気がする。(2007.02,12) |
| Magazine391:子どもの荒れにどう向き合うか |
杉田雄二・折出健二、高文研、1200円と税金。 杉田さんが荒れる中学校の学年主任として、生徒の暴力そして教師の暴力そのどちらも学校から追放しようと呼びかけて始まった4月。それから様々な暴力事件が生まれる中で、同僚教師と衝突し数日間失踪したりという事件の中で、この荒波を生徒が育つ方向で乗り越えていったかの記録だ。 この記録の柱は、本書のラストにコラムとしてまとめられている。問題を抱えた生徒と関わるときの6つのポイント。そして、保護者と関わるときの2つのポイントだ。 私が印象深い指摘は、二つある。生徒が教師不信や学校不信に陥る理由について、教師が生徒を脅しで従わせようとし、その脅しを脅しとして定着させていくからだという。現在の厳罰主義にもこの脅しの発想が色濃い。この違いを深く把握する必要があるだろう。これが一つ。 もう一つは、教師の価値観の多様化を求めていること。この点が80年代の荒れにおける指導との大きな違いのような気がする。80年代は、授業への出席や服装・髪型を直させることに必死となり、進路も高校もしくは定職を追求する指導だった。教師の対応も一致した行動が追求された。これに対して、一時的な立ち直り方では生徒が高校で「もたない」と見なし、多様な進路の失敗例と成功例を示していく。現状の社会的な仕組みの中では厳しいことが多いけれども、高校に入れる指導や「規範を身につけさせる」指導とは違った世界がそこにはあると思う。 ただ、厳密に考えると、「教師の価値観の多様化」というのではなく、「固定的な価値観からものごとを捉えるのではなく、再審するように捉えていくこと」というべきだろう。 その他のポイントは、本を買って読んで下さい。 (2007.02.08) |
| Magazine390:声が生まれる |
竹内敏晴、中央公論新社、740円と税金。 私にとっては久しぶりの竹内敏晴。声を意識と身体とつないで捉える契機となった論者の一人だ。この本は、日本語の声というものを現代人たちの発声の仕方と関連づけながらエッセイ風に語り出すところから始まる。その声を持たなかった著者が獲得してくる過程を素材にしているだけに説得的で、その重要な部分に同意することも多いのだが、竹内にとっての日本語というのは、平家物語のような日本語と、近世までの、あるいは近代の七五調あるいは三四調の言葉に偏しているように思われる。もう少し幅を広げてくれないと、今の言葉のリズムと永遠に和解できない議論になっていきそうにも思われる。 後半は、言葉のレッスンで行ってきた経験から言葉が届くということの身体感覚を何とか伝えようというエッセイになる。 いくつか竹内の本や論文を読んできたので記憶にある話しも存在するが、今、言葉の操り方と言葉の力の位置が変容してきている中で、演劇的な言葉というよりも関係的な言葉を今どう考えたらいいのかを再考することになる本だと思う。これは、二〇世紀の一つの到達点だと思うので読んでおく価値はあると思う。(2007.02.05) |
| Magazine389:格差社会とたたかう |
後藤道夫、吉崎祥司、竹内章郎、中西新太郎、渡辺憲正、青木書店、2200円と税金。 格差社会かどうかという議論、格差社会を妥当だとする主張、格差がありすぎる社会は問題だとする議論、格差社会を原理的に批判する議論、それぞれを俎上にのせている。論壇の多くは、前三つの立場である。自分自身がワーキングプアだったり、あるいは、上層つまり年収2000万以上には成り得ないのに、前三つの立場を支持してしまっている人は、いかにだまされているのかについてその手法を確認する意味でも読む価値がある。 後藤は、まず、現在の格差の状況を確認する。安倍らの対応策が格差の制度化に向かっていることを明らかにしていく。吉崎は、新自由主義派などのスローガン「努力すれば報われる」という議論の欺瞞性明らかにする。今、ほとんどの人が努力しているのに報われていないのであって、その人びとが報われる仕組みを提唱するものでないことを明らかにしていく。再チャレンジ支援を必要としない人だけを支援する施策であることを示していく。竹内は「機会の平等」について検討する。安倍の施政方針演説でも、「機会の平等」だけを確保するという。このイデオロギー良さそうに見えて、ここでも、実際には誰もがどれにでも参加する平等があるかというと、まったくそうではないことを示していく。中西は、自立支援が実際には強要となっていること、それとは違った自立と支援の関係を探求する。ついで、渡辺は、格差社会論の酷薄さを解き明かしていく。(2007,02,01) |