2008年2月2日 (土)
Magazine502:平和教育73号 |
日本平和教育協議会編集・発行、1000円。 憲法学習が特集となっている。今号は充実していると思う。その理由の一つは、渡部忠治の平和的な国家及び社会をめざす憲法学習のために、という論文が従来の9条だけで平和を考えることへの批判的提起をしていること、二つには、実践記録が記録としての要件を備えたものが配置されていること、三つにはそれ以外の諸論文も読みやすい。 正木論文の主旨には賛同しないけど、一つの立場として「あら、そう。」という感じ。 (2008.01.31) |
Magazine501:終わりよければすべてよし |
シェイクスピア、白水社、730円と税金。 小田島訳の全集を長い期間をかけて読むことにした。まだ4冊か5冊だ。 この本は、孤児が王様の病気を治して、希望の貴族と結婚させてもらえることになるが、その相手が逃げ出して、これを追いかけて、というお話。 シェークスピアを何で読むんですか?と学生に聞かれて、よく言えば文章の書き方を学ぶため、少しきつく言えば批判の手法を学ぶため、悪く言えば悪口に上達するため。読めば読むほどそういう言い回しがあるのかと関心。すごい。(2008.01.29) |
Magazine500:エビと日本人U |
村井吉敬、岩波書店、740円と税金。 20年前に同じタイトルで刊行された者の補訂版。 何が変わったか。一つは、ブラックタイガーがバナメイという種類のエビに変わったこと。エビの最大輸入国が日本が2位となって米国が1位となったこと。養殖エビの比率がさらに高まっていることなど。 変わらないことは、エビ養殖がマングローブ林を伐採させるなど、環境破壊を引き起こし続けていること。 日本のエビの自給率は約10%で輸入依存だが、食が材料において依存の度合いを高めているだけでなく、調理も依存してきていることが本書によってわかる。 かつて、同書のデータを使って授業を行っていた向きには、第4章から新しいデータが図表やグラフとして納められているので利用しがいがある。 ただ、文章や文の構成はあまり上手とは言えない。話があちこちしてよい意味ではなくて冗長な印象だ。人へのインタビューならもっと生の語りを入れてほしいし、データの考察ならそれをもっと議論してほしい感じがする。それでも、この方の主張には納得する事も多い。授業づくりのネタ本になると思う。 (2008.01.24) |
Magazine499:高校生活指導175号 |
高生研編、青木書店、1200円と税金。 今季号は生徒会が第一特集。池野眞は、民主集中制の運動型民主主義と三権分立の統治型民主主義に区分し、高校の生徒会を三権分立型民主主義として捉え、その内の司法権は無理として残りの二権分立型の生徒会という構想を展開している。都立高校の中高一貫化に伴う実践記録が興味深い。生徒の声を無視する動きが日常化する中で、そこに生徒の声を聞くという発想だけで実践は取り組まれたように見えるが、その声をどこで引き出し、どこで聞かない者に聞かせていくのか、そう考えると今の高校状況をよく現しているのだと思う。実践のまとめ的論評を行っている青木が疑似参加には注意をと言っているが、この付近が実践の値打ちの分かれ目と言っていいと思う。 第二特集が高校生のアルバイト。中西新太郎が高校生のアルバイトの社会的位置と現状をまとめ、高校生がどの程度働いているか、その中で何を学んでいるのか、アルバイトの労働法的学習としてどんななかみを教えているかを授業実践、アンケート調査、インタビューを通じて提出している。(2008.01.22) |
Magazine498:障害児教育を考える |
茂木俊彦、岩波書店、700円と税金。 帯にある「特別支援教育」時代の教師と親のための基本書、というのはベタだけどそうだと思う。1章は、障害の概念の変化が国際的動向を踏まえて記されている。 2章からはとりわけ良い。いろんな検査をして障害児のことを知ったつもりになるのではなく、「子どもに尋ねる」事が重要だと解く。志茂田景樹が特別養護老人ホームで読み聞かせをしたとき、悲しい場面で笑い出した老人について職員に聞くと、「痴呆症」で笑ったということはこころ動かされたことだ、そう応えてくれた話を引用して、次のように読み解く。このエピソードは、この職員が日頃から認知症の人の心と体を丁寧に受け止め、わかろうとしているからではないか、と。そういうことが子どもに尋ねるということだなどと、例を出しながら説明していく。 3章は、最近の特別支援教育というその理念の国際的展開と日本の課題が描かれている。障害の種類を限定したり、障害児教育の場所を限定したりという制約を超える理念が打ち出されているが、実態は、人も予算も付かずに貧しい状況にあることを示しながら障害を持つ人にはただ一般校に入れればよいということでもなく、同じ障害を持つ仲間も、一般校でのインクルーシィブ教育も必要なことを論じていく。 4章では、障害児教育実践のティーチプログラムやソーシャルスキルトレーニングの個人を対象とした訓練的な問題点を挙げながら、そんな取り組みとは違って、後押しがあれば自閉症児も喜びの共有が可能なことを具体的に示している。 最初、タイトルが平凡だったので、内容が概説だったらどうしようという気もしたのだが、読み始めると、これが全く違った。最近の議論を織り込み、具体的な最良の教育実践を紹介しつつ重みのある言葉が綴られている。(2008.01.20) |
Magazine497:母べえ |
野上照代、中央公論新社、1100円と税金。 もう十日もすると公開される映画「母べえ」の原作。冒頭には、山田洋次の前書きがあり、お終いには、吉永小百合の一文がある。 内容は、1937年からはじまる。特高が来て、父親を治安維持法違反で連れて行く。残された母親と娘2人と父の妹の暮らしと、父親からの手紙や父親への手紙で構成された小説。大きなドラマがあるようには見えないストーリー展開だ。しかし、考えてみれば、父親が連行されてしまうというこの家族にとっては大変な出来事と言える。 拘置所での暮らし、検閲の有り様、親戚の厳しい眼差しなど、残された家族には厳しい出来事が淡々と描かれている。だが、そこに流れる雰囲気は、厳しさや辛さではなくて、穏やかさと優しいふるまいと言葉だ。 そうではあるが、家族の絆というより、いかなる思いで互いが今いるかを想像しようとする関係なのだろうと思う。 映画とタイアップする中でつけられたのが今回のタイトルだが、私は一番最初の「年下の父へ」が原作の内容からするとやはり一番いいタイトルだと思う。母べえだと、母親が主人公のように見えるが、原作では下の娘が視点人物となっている。映画のタイトルに合わせなくてもいいだろうと思われた。(2008.01.16) |
Magazine496:南京事件論争史 |
笠原十九司、平凡社、840円と税金。 南京虐殺事件研究の第一人者が最新の研究成果を踏まえつつ、論争にされてしまっている点を取り出して、事実を提示しながら、南京事件否定派や矮小化の議論を丹念に批判した本。 当時の日本政府も軍の中枢部も共にこの事件の発生を知っていたこと、東京裁判において認定された犯罪事実、その裁判の不十分な点(日本政府と軍隊が証拠となる資料を焼却したために個別事実の検証において不確かな事柄がふくまれていることなど)、東京裁判の報道のされ方(日本軍の加害の事実に関する証言を報道せず、戦犯の反論などが報道されたことなど)、70年代、80年代、90年代、そして現在に至る事件の研究と議論の推移をコンパクトにまとめている。とりわけ、事件否定派の議論の仕方を取り上げて、その論理の誤りを取り上げて批判している。 例えば、南京事件否定派の東中野修道の論理は、自分が疑問に思えると事件はなかったと主張する非学問的方法であること、マギー牧師の写真が東京裁判の証言の時に用いられなかったことでその証言の嘘と断言してしまう誤り(証言の時に用いられなかったことで証言を否定するのは東中野らの主観的判断にすぎない)や、テインバレーによる事件のねつ造だというが事件は英米独の外交官によって世界に知らされたことなど、その論理を事実とつきあわせながら論破していく。ついついだまされそうになってしまうことは、誰しもある。だから、時間がない人もこれは読んでおいていいと思う。 なお、なぜ、南京事件は起きたのかという問い、そして、その記憶はなぜ定着しなかったのかという問いで、前半は論述されている。この点については、かつての大江と城丸の日本の軍隊の研究あるいはその後の記憶の研究とつきあわせてみたい気がした。 (2008.01.13) |
Magazine495:学力とトランジッションの危機 |
耳塚寛明・牧野カツコ編、金子書房、2800円と税金。 文科予算による調査の報告書で、いわゆる学力調査と親の階層調査・意識調査を行い、これに社会学者などが分析を加えた本。 冒頭は、編者の耳塚論文。いわゆる「学力」調査と親の階層をクロスさせたデータを中心に、父親の学歴と世帯所得によって「学力」に差があることを改めて確認している。この論文が使えるとすれば、「早寝早起き朝ご飯」には根拠が希薄だと言っている部分だろう。ブログにも触れたように全国学テを肯定してしまっているように、他は使えない感じ。 次の松下佳代論文はパフォーマンス・アセスメントという評価方法の意味と基本的考え方を紹介し、単なる「学テ」評価では捕まえることのできない思考プロセスを把握する方法を展開している。松下は、冒頭の耳塚のような社会学者の「学力」規定が操作主義的で、それが何であるかについて研究しないことを柔らかく批判しながら、授業改善にこのパフォーマンス・アセスメントが部分的に有効だという。 冨士原紀絵は、学テは授業改善に有効でないと論じている。それはそうだが、最後の一文で、教育関係者も「評価リテラシー」を身につけることが要求されると言ってしまった点は、疑問だ。 次の安藤寿康の遺伝と学力の話は、参考になることがほぼない。 最後の小玉重夫論文は、バーンステインのコンピテンスモデルにはじまってボーンを手がかりとした議論を行っている。この評価は保留にしておきたい。(2008.01.10) |
Magazine494:畳長さが大切です |
山内志朗、岩波書店、1300円と税金。 哲学塾シリーズの一冊で、冗長という長ったらしく無駄と思われる情報にも意味がある場合があるという話の本。途中の例示されている話は、熟達論や記憶の理論という点ではほぼ新鮮みがなかった。というか、それを専門にしている側からすると議論に進展があるわけではないが、人間の思考あるいは情報の交換過程を考えるというレベルで物事を見ると、参考になる議論がいくつかあるように思う。 例えば、歳をとって同じことを繰り返し言う人が散見される場合、これは冗長にすぎない。だが、その反復が誤りを訂正する機能を持つ場合には有益となること、その誤りを正す機能として単なる反復とは違って、別の回線を並列させたり、情報の種類を変えたりということがあると畳長性となるという。それでも同じことを繰り返せば冗長性になってしまうわけだが、それが畳長性になるためには、情報に偏差が組み込まれていると新しいものを生み出す源泉ともなるという話をしていて、このあたりは踏まえておきたい話かもしれないと読了。 (2008.01.06) |
Magazine493:歴史教育・社会科教育年報2007 |
歴史教育者協議会編、三省堂2381円と税金。 もう何年も毎年1冊刊行し続けている。こういう本は一年ごとで編集されるが、一年ごとで眺めていてもはっきりしない。5年、10年と並べてみると何となく動向が見えるものである。それは、一つの長所であるとともに短所でもある。年報という表題に期待しすぎると、一年ごとの違いが明確に見えなかったり、網羅されているだろうかという疑いが生まれる。しかし、時間の流れには本当は区切りがないように、便宜的に年報としているに過ぎないと理解すれば、そうしたこだわりを捨てて、個別の論文として読むことができる。私は、後者のつもりでこのところ読む方向に傾斜してきている。 そうした見地から文章として、第一部に配置されている西野瑠美子論文「世界が見る日本軍『慰安婦』問題」は、アメリカやヨーロッパに広がっている「慰安婦問題」に関する決議の内容と動向を紹介していて、新聞報道の足らない点を補う上で参考になる。同様に、小牧論文も沖縄の「集団自決」への日本軍による強制の問題を事実と照合して考える上で説得的だ。 第二部の「憲法理念を教室に」は、歴教協の大会を中心としたまとめとなっていて、視野が狭すぎる感じはするが、この団体の個別実践の動向はつかめる。しかし、その質の問題というよりは、テーマが部の趣旨にぴったりしない論文がある。むしろ、三部にしたほうが良かったと思うわけだ。 第三部「歴史教育・社会科教育の動向」は内容的深化が課題だと思う。問いの立て方が気になるところだ。だが、石井の文献目録は継続されると資料的価値がやがて生まれると思う。 (2008.01.03) |