2008年3月2日 (日)

Magazine511:証言沖縄「集団自決」

 謝花直美、岩波書店、740円と税金。

 慶良間、渡嘉敷島、座間味島、慶留間島、阿嘉島、「集団自決」で生き残った人やこれを体験した人の証言集。軍命がなかったと言いたい人派への証言による反論だ。これまで、つらい体験であるが故にほとんど口を開かなかった人が、軍命がなかったといって歴史を歪められることへの憤りから一度きりとして語っていたりする。新聞報道的情報しかしらない人には、そのときの体験をその前後の状況において証言されているので持っておきたい一冊だ。

 私がただ一つ気になったのは、その文体だ。謝花さんの地の文と証言者の側から見た文とが混在しているところがあって、どちらの判断なのかときどきわからなくなってしまう点だ。

(2008.02.29)


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Magazine510:演出家の仕事 

 栗山民也、岩波書店、740円と税金。

 冒頭、イギリスの演劇ワークショップの事例がすべてを語っている。手のひらをひらいて握って、これを繰り返し、握った手を3分かけて開くというワークショップだ。この握った手のひらを開く間に、そこに隠されている無数の表現を発見しなければならないという話が紹介されている。この発見に介在するのが演出家の仕事らしい。

 介在するために、人の声を聞くことから始めるという。戯曲を読むこと、稽古場でも聞くことの重要性が語られていく。時代と記憶にと向き合うという話も興味深い。その一節に、劇場副支配人の言葉が紹介されている。旧東ドイツ時代に監視社会の中でも人々が劇場に通った理由を次のように言う。「劇場とは、いろいろな「真実」を見つけ出すことができる場所なのです」と。シェイクスピアやシラーの言葉は誰も変えられないという。

 変えることなく伝えるというのであれば、本で十分だ。しかし、本ではなく、劇場だという。そこには、言葉を変えずになお「真実」を多様に発見する仕掛けがつくられていたんだろうと思う。その仕事の一つが演出という仕事と考えられる。この指摘は、いろいろに考えられそうだ。この部分はひどく納得した。また、語れない話も登場していて興味深い世界がここにはありそうだ。

(2008.02.23)


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Magazine509:理不尽社会に言葉の力を 

 小森陽一、新日本出版社、1500円と税金。

 「お前の代わりはいくらでもいるんだよ」「空気読めよ」「こんなこともわからないの」「将来のこと考えなさい」などのここ十年あまりの間に格別に語られるようになった理不尽なフレーズへの反論の書。理不尽な言葉を言われて、その言葉のどこに理不尽さがあるのかを確かめたい人は読むと元気づけられると思う。

 他方で、それらと闘うための言葉も2部に用意されているので、少し元気の出た人は読んでおくと言葉に力を回復するかもしれない。

 私は、この本を実は立ち読みで済ませていたのだが、仕事にとある頁のマンガを使おうと思ってしまったので購入。直接は1頁だけの利用だけども、話の枕としては不可欠なので、高くはない、と思う。(2008.02.20)


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Magazine508:生活指導3月号 

 全生研編、明治図書、752円と税金。

 今回は、卒業式と送る会が特集。式次第並びに呼びかけ文案などが並んでいる。それは、実践的に役立つということもあるだろうが、それよりも、その細部に行政的な式を教育の式に変えようとする教師たちの取り組みがあることを示している。

 もう一つは、藤田昌士の取り立てての道徳教育の位置づけを検討した論文を読んでもらいたい。昨年から、この雑誌が道徳教育実践を毎号掲載してきた。その総括という位置づけの論文である。子どもの生活現実から出発することによって、徳目主義と心情主義の道徳教育を超えていくという骨格で論じられている。

 最後に、現実に係わりながら学ぶ者の文章は、伝える力を持つと思わせてくれたのが沖縄国際大学の学生の文章。沖縄の「集団自決」をめぐる教科書問題についての一文。学ぶとは何かを示している気がする。(2008.02.17)


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Magazine507:占領と改革 

 雨宮昭一、岩波書店、700円と税金。

 占領改革で、戦前のすべてが変わったという認識に対して、そうではなくてすでに戦争中にその戦後改革を生み出す元があったという本。

 すでに、戦前と戦後を断絶として見る見方はいろんな分野で批判されている。それほど断絶していないという見方だ。雨宮の議論は、それらの一つかなと「はじめに」を読んでいるときはそう思った。しかし、それらとは違った。総力戦体制の構築と共にもしくはその時期にも自由や平等があった。あるいはそういう方向への歩みがあったという。だから、また、改革以後にも戦前的な自由や平等がそこにあるとも言う。確かに、一切それらがなかったというのであれば、間違いに決まっている。

 しかし、雨宮の主張は、肝心な部分で論証されていない、と思われた。

 一つは、平準化されていたというのだが、平準化と平等とが=で結ばれているような書きぶりだ。平準化は、生活水準の格差が縮まっていたという趣旨らしい。労働者の生活が向上していたなどといっているから、間違いないだろう。しかし、平等という概念は、物理的格差の大小ではなくて、権利関係、人間の関係におけるその質を問題にしなければならない。この点で論証されていない。総力戦体制は、女を戦闘員に配置するという意味では、戦争に向き合う人間の平等をつくり出したと言えなくはないが、当時の公式の把握は銃後を守る女として配分されたのであって、これを無視して平等とは言えないのではないか、と思う。

 教育改革についても、戦前すでに地方分権制度が存在したとか、軍国主義的色彩の教育内容は戦時のものでそれ以前はそんなことはないとか言う。だから、戦争が終われば軍事的色彩が元に戻ったはずだという。この場合の軍国主義を雨宮は狭く捉えていると思われるのだが、国家主義的性格はそれよりずっと前からはじまっており、国定教科書にも反映していたし、すでに1890年には教育勅語が出され、教育勅語体制と呼ばれる枠組みができあがっていく。これらは、十分に軍国主義的であり、敗戦なくして失効しなかった。

 戦後の農村や労働組合に協同体的性質があったというのは、それは、むしろ、戦前からの農村協同体の性格を引き継いでいるのではなかったか、と私の風景の記憶が判断させる。つまり、協同体レベルにおける関係の質において、合議制ではあっても、自律的個人の民主主義で貫かれたものではなかった。そう判断する方がよいのではないかと思っている。一番重要な論証の叙述が欠けているように思われてならない。(2008.02.14)


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Magazine506:じゃがいもの世界史 

 伊藤章二治、中央公論新社、840円と税金。

 ペルーとボリビア付近が原産地のジャガイモがスペイン人によってヨーロッパに渡り、さらにそれがアジア、北アメリカへと渡っていった経過と、それぞれの地域でこれがどのように普及していったのかを辿った本。

 著者は新聞記者だったそうだが、今月に入って久々のいい文章だ。事実を書き込みながら読ませる。思いばっかりの文章に辟易していたのでよかった。

 それよりも、ジャガイモは世界史に値する。まず冒頭では、足尾鉱毒事件の結果、水没することになった村の人々が北海道になきながら移住し、その末裔が千葉牧場を経営し、その人々の暮らしを支えたのがジャガイモ。ジャガイモを食べると疫病にかかるという迷信が広く存在してヨーロッパになかなか広まらなかったこと、これを普及させる動機が戦争にあったことなどが明らかにされていく。

 日本におけるジャガイモにまつわる話もなかなか興味深い。大原社会問題研究所の創設者と桜美林大学の創設者のかかわり、女工哀史の食生活などいろいろエピソードに富んでいる。これは、食分野の教育の資料に絶対使える本だと思う。

(2008・02・10)


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Magazine505:江戸俳画紀行 

 磯辺勝、中央公論新社、860円と税金。

 タイトルどおりで、横井也有からはじまって三上千那・三上角上まで23人の俳人の俳句とそれにつけられた絵についての探訪記である。探訪記を読みたくて買ったのではない。一茶や芭蕉、蕪村といった有名人ほどでない俳人の句を眺めて見たかったのである。

 残念ながら著者とは違って、感嘆する句には出会えなかったが、何を見ているのかを知ることはできた。本文は、俳人縁の地を訪ねる形で書かれている。西鶴のお墓など私も行ったことがある場所がほんの少しあった。しかし、それを眺めても当時は著者のようなことは思いもしなかった。それでも、本書を読んでよかったことは、美術館や郷土資料館の訪問の仕方を知ったことだ。単純なことで、行く前に葉書で行く日と用向きを書いて送っておくと、それに応えてくれる所もあるらしいことだ。調査の場合にはしていることだけれど、そうした施設も同じだとは思っていなかった。

 なお、俳画がもっと多く掲載されていると一層よかった。しかし、きっとカラー写真になるから予算上できなかったのだと思う。それが残念。(2008.02.07)


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Magazine504:ほんとはこわい「やさしさ社会」 

 森真一、筑摩書房、760円と税金。

 本の中に気軽さが必要だとあるから、気軽に言ってしまえば、読んで外れ、という感じ。

 まあそうだ、と思う点もあるんだけど、それは違うでしょうと思う点が肝心なところで登場してしまうから。例えば、「低下論の時代」などという名付けは、「低下した」と言って不安を煽るやり方に対して、皮肉も効いていて、「まあそうだ」と思ったりする。

 しかし、50年前のサザエさんのマンガを持ち出して、波平がカツオを腫れもののように扱っているところから、子どもがみなそのように扱われるようになった、などと結論するあたりは、全く根拠がない。子どもは、そのように扱われてきたかというとそうではない。むしろ、暴力の対象となってきた。他にも、根拠のない話がいくつか出されているように思われた。

(2008.02.04)


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Magazine503:教育2月号 

 教育科学研究会編、国土社667円と税金。

 全国学力テストが特集。冒頭は、汐見が過去の学力テストと今の結果を比べることに何の意味があるのか、比較して成績が上がった下がったということに何の意味があるのか、無意味じゃないかという批判をしている。佐貫は、習熟について、単純な反復論が跋扈する中で、本来の習熟の筋道についての考察を論じる。小寺と小林が全国学テの数学と国語の問題の分析を行っている。久冨は、全国学テが悉皆調査であることの弊害と解答誘導的質問紙に満ちている問題を指摘する。映画の紹介では、「ダブリンの街角で」が取り上げられていた。見に行くと良いと、記者氏に勧められていたのに時間がなくて行けなかったことを思いだした。文章としては、この紹介記事を書いている佐藤さんのが一番良いかもしれない。

 ところで、ここにある論文のうち、二つは、11月末の研究会の折にもらったものだったことも思いだす。短い期間で皆さん文章を書くらしい。早さに感心。

(2008.01.31)


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