2008年4月1日 (火)

Magazine520:歌仙の愉しみ 

 大岡信、岡野弘彦、丸谷才一、岩波書店、780円と税金。

 ブログにも触れたけど、俳句や短歌そして小説などを本業とする者たちが、深い関連のある連句をやって愉しんだ、その記録。遊びだ。

 連句は、他者とつながる遊びで、一人が連作していくのとは違った世界の転換があって、面白い遊びではある。しかし、とりわけ歌仙の場合にはいくつかの決め毎があるために、作品として虚構性は極めて高い。俳句や短歌のリアリズムとは相当に遠いところにおいて成立してくる。虚構といっても、そこにはその制作者の意図が読み取れ、その意図にものの見方が反映する。

 3人は関連の故事をよく知っているらしい。作品ができとしてよくても悪くても、その良さ悪さを蘊蓄として語りあい、その蘊蓄を理解し合うことでじゃれ合っている。そういうことが楽しい時というのはあるものだ。それを本にすることには議論もあろうが、普通の暇つぶしに飽きた暇つぶしには一生の中に一度くらいはいいかもしれない。(2008.03.29)


トップページに戻る
Magazine519:卒業式まで死にません 

 南条あや、新潮文庫、476円と税金。

 下記518の本で取り上げられている著作。『二十歳の原点』は学生の頃読んだ記憶があったが南条は知らなかったので通読。ブログに書いたように、南条の場合、自殺の理由はこの本からは読み取れない。通常、自殺にいたるにはそれなりの理由があるという前提に立てば、理由らしき理由は本書に明示されてない。

 その可能性としては、いじめられて追い込まれていることを級友に知って欲しくてリストカットを始め、その期待した効果が変形して、一定の効果を上げつつも変わった人間と見られるようになり、それがさらに昂進していく。その理解のされなさがリストカッターへ、献血常習者へ、薬常用者へと追い込んでいった。そう理解するのが普通に見える。一つのアディクションに見える。

 だから、土井のように、生きづらさを抱えてそれと正面から向かい合うという処方は、具体的事柄を通じてでないと不可能に見える。また、あるがままを承認しなさいと心理系論者はしばしば語るのだが、承認を求めるということは否認にも道が開かれていなければ、無意味だということを知るべきではないかと思う。

 これは、趣味で読むような本ではありません。(2008.03.26)


トップページに戻る
Magazine518:友だち地獄 

 土井隆義、筑摩書房、720円と税金。

 若い世代の対人関係やその意識について論じた本。たぶんそれなりに話題になると思うし、こういうテーマについて論じている人の議論もちりばめてくれているので、検討すると良いと思う本だ。

 「優しい関係」をつくろうとするとストレスをためるし、その「優しい関係」の維持に力を集中すればするほどいじめに転化すること。「二十歳の原点」的な自律志向が、やがて南条あや的承認志向へと変化していること。純愛や純粋志向は自己欺瞞に満ちた日常に傷つくし、純粋性への志向はそこからのほころびに傷つき、純化された関係に拘束され、息苦しさを生み出すこと。身体の一部となったケータイは自己確認のための常時接続ツールとなっていることなどが指摘されている。

 ただ、ブログを書き続けている側からすると、そしてブログの内容や位置づけについて多様化していると認識している側からすると、土井のつかみ方をいつかさらに検討したいと思ったりする。

 アイデンティティを帰属の問題で捉えるのではなく、対他関係において捉える議論が登場しているのだが、その方向と土井の枠組みは重なると思う。その上で、関係で捉えていくと言うことは、関係の構築と再編を絶えず展開しなければならないという意味で不安定と言えば不安定だ。だが、不安に駆られなくても良いじゃないか、そういう方向もあるような気がしなくもなく。(2008.03.23)


トップページに戻る
 Magazine517:数学教室4月号

 数教協、国土社、781円と税金。

 授業開きが特集で、小学校1年生から高校までその1時間目を中心に記されている。小学校と中学校のそれは、何となく楽しそうに読めた。しかし、高校になると、意義を意義として語ってしまっているので、ちょっと取っ付きにくい授業開きのように思われる。各教科関係雑誌は、こういう特集を組む季節となった。

 さて、授業開きの原則がここにも記されている気がした。記録から読めることは、一つに算数・数学への子どもの期待に応えるとか、期待を生み出すこと。二つは、教師との関係づくりにありそうだ。三つは、できれば子ども相互の関係を和んだものにしたいというそういうニュアンスもありそうだ。

 2人で、1から3までの数字を言っていって、最後に21が取れた方が勝ちというゲームの勝つ原則を見つけさせる授業開きなんかは直ぐに使えそうだ。これは、いぜんやったことがあるけど、それがなぜなのかを考えるのはだいぶ前にやめたままだったことを思いだした。

(2008.03.19)


トップページに戻る
Magazine516:人間と教育57 

 民主教育研究所編、旬報社、1190円と税金。

 1月に出された新学習指導要領に関わる中教審答申の総論的検討が今号の特集。まず冒頭に渡辺治の講演を置いて、07年の政治状況と教育政策の関わりがおおまかに語られている。

 その後に、答申の特質とその問題点を佐貫は「生きる力」に関する議論の問題点に関わって論じ、汐見は言語力の育成方針について人間関係を無視したコミュニケーション技術に傾斜していないかと批判し、山崎は教育内容・方法に指導要領が介入してきていることを批判し、佐藤は生きる力をキー・コンピテンシーと同一している誤りを明らかにし、松下は道徳教育が生きる力の教育に失敗することを明らかにしている。

 第二特集は農の文化。これは地味だけれども本当は今注目の世界。

(08.03.16)


トップページに戻る
Magazine515:シェークスピアのたくらみ 

 喜志哲雄、岩波書店、700円と税金。

 今から400年あまり前の諸作品の戯曲としてのしかけがどこにあるのかを、あまり長すぎずに書いてある本。コーラスの意味を始めて知った。観客だけが事情を知っていて、事情を知っている優越感をくすぐられて観客が沸く部分がある、などというおそらく演劇にとっては初歩的なしかけが明かされている。

 喜志も小田島同様のシェークスピア評価となっている。それは、特定の人物の肩を持ったりしないという点だ。この把握の部分は、私のHPの趣旨と重なる。

 読んでいない作品について解説されても判断はできないが、作品そのものを読む気にさせてくれる文章でもある。私にはこういう本が読んでいて楽しい。(2008.03.12)


トップページに戻る
Magazine514:ルポ貧困大国アメリカ 

 堤未果、岩波書店、700円と税金。

 すでにいくつもの新聞などで紹介されているから改めていうことはないのだけれど、おちこぼれゼロ法がアメリカに追随して日本に入ってきているということがよくわかる本。だから、特に教師には読んでもらいたい本だ。

 貧しくてやせている時代はとっくに過ぎて、貧しい故にジャンクフードを食べざるを得なくて太ってしまうこと、学テ競争が貧しいものをいっそう貧しい教育へと導くこと、学力競争がさらにいわゆる学力を低下させ、意欲をそぐことになると私に直観させた本。堤さんの本に学力の話はほとんど出てこないが、そこに紹介されていた「貧困ビジネス」という言葉とその仕組みは学力問題にあてはまると思われた。ちょっとだけ説明すると、貧しいものに高利でお金を貸す。払いきれなくなるまで搾り取る。リスクはあるけれど高利なのでそこそこに成立していたが、これが昂進して破綻しているのがサブプライムローン。銀行等が危機に陥ると政府の援助。救われないのが搾り取られた貧困層。そういった話が満載の本。

 ところで学力の話はまた別の機会に別のところに記すつもりだが、論理が似ていると思っていることを超簡単に記すと以下。

 学テや教師評価・学校評価を続けると、子どもと教師に無理強いをすることになる。これが高利の金貸しと同じ。具体的には百ます計算、DS、底辺に手厚い教育や頂点に手厚い和田中のような取り組みが提案される。ローンが滞りなく支払われているかがチェックされる。これに相当するのが学テで、これによってランク付けされる。診断結果が子どもと教師の評価となる。できが悪いと破産宣告されるから、見かけ上よい点になるような偽装がテストの時だけじゃなくて発生する。すると子どもの側には「見せかけの学力」がつく。見せかけはどっかで破綻する。結果的に救われないのは子どもと教師。そういう構図。(2008.03.08)


トップページに戻る
Magazine513:地域の力 

 大江正章、岩波書店、700円と税金。

 副題に「食・農・まちづくり」とあるように、近代主義的生産、流通システムとはことなる試みをしている地域のルポルタージュ。

 取り上げられている地域は、章の順番に並べると、酪農の雲南市、商店街の相生市・四日市市・足立区、葉っぱの上勝町、地産地消の今治市、畜産の標津町、林業の四万十の檮原町、公共交通の富山市、都市農園の練馬区・横浜市。

 大江の評価は、近代主義的生産システムから外れる点が含まれていれば、概ね甘いと言えば甘い評価となっている。例えば、ホルモン剤・濃厚飼料を与えて脚気にしてまで霜降り肉をつくってはいないけれど、かなりな程度生産コストに拘束されていることもわかる。あるいは地産地消の%はまだまだの状況にあるし、どこでも推奨できる理念でもなく、子どもへのその教育となると問題山積かもしれない。大江は、そういう批判をある程度知りながら、結局、ゆるく評価していく。それが妥当な線ということもあるかもしれないが、かなり問題含みにも見える。

 だから、その地域に住む人には是非検証してほしいと思ったりする。取り上げられている四日市は近いこともあって仕事で何度か出かけたことがある。ジャスコ発祥の地の駅前ジャスコがなくなった後にも2度ほどいった。商店街を歩きもした。取り組みがあることはわかったが、私が通ったときにはまだまだの現状であった。それでも、緩い評価を通じて、未来への可能性として暖かく見守るべきなのだろう。(2008.03.06)


トップページに戻る
Magazine512:リテラシーと授業改善

 日本教育方法学会編、図書文化、2000円と税金。

 今、この本の書評を書いている。締め切りは過ぎた。ゆっくり検討している時間がないけど、概要を圧縮してほとんどの論文に一言ずつコメントして書評に代えようと思う。

 これは学会誌なんだけど、ここの論文がそれほど長くないので、ちょっと物足りない論文も出てきてしまうのが残念だ。しかし、PISAとそこで使用されているリテラシーについての検討を以下の人々が行っている。佐藤学、土井捷三、山住勝広、松下佳代、寺岡英男、池野範男、柴田義松、山内祐平、阿部昇、折出健二、木原俊行。一般に流布しているリテラシーの言説と異なる指摘がいくつかの論文には挙げられているのでできれば読んでほしいもの。私の書評は、この学会紀要に掲載される。刊行はまだちょっと先。

(2008.03.02)


トップページに戻る