2008年7月1日 (火)

Magazine548:ケアという思想 

 ケア その思想と実践1、岩波書店、2200円と税金。

 巻頭は大熊由紀子の本のタイトルと同じ論文。私事としての介護を社会的なものへと変えた基本的ものの見方を元新聞記者らしくわかりやすく論じている。ゴールドプランの策定の元となる審議会委員だった人の成果と自己弁護の文章と読めなくもないけれど、おそらく主観としてはそのとおりだったのだろうと思う。

 副田の青い芝の会の抑制のきいた検討には感心する。この会の活動が広がりを見せていた時期に学生だったので、これを支援する会の若干のメンバーを見たことがあって、その印象があって副田のように筆を運ぶことは難しいと思ってしまうからだ。私の出会った人は正直いって感じがよくなかった。その感じの悪さが当該の個人の問題ではなくて、この会の活動方針に起因することが了解された。副田が批判する「健常者集団を青い芝の会の手足となれ」という思想と運動方針が対立を呼び込むために、当時の私に感じ悪く映っていたのかもしれないなどと読んだ。

 続いて聴覚障害、視覚障害、精神障害の現在の課題がその当事者などから描かれている。私がとりわけ面白いと思ったのが、べてる家の向谷地生良の文章。「幻聴さんに優しくしてあげて」という対話へ誘い、そういう方向をたくさん見つけ出していく営みが格別に興味深い。

(2008.06.29)


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Magazine547:子どもの目でまなぶ近現代史

 安井俊夫、地歴社、2000円と税金。

 ブログに書いたけれど、授業で子どもから出された質問に対して、安井が調べて原稿化した本だ。昔、教師は発問という形で問うけれど、それはやがて子どもに問うことができるようにするためなのだと学んだことがある。この視点から言えば、安井が受けた質問は、子どもが問うようにしていると解することもできるけれど、そのように自覚的であったのかどうか、それはわからない。

 けれども、こどもの問いから授業を組み立てるそのイメージを広げる仕事にとって大切な資料となるように思われる。

 本文を見てもらうとわかるけれど、安井が調べたその調べ方は教師のモデルにはなりにくいと思う。それはかなりの時間をかけないと無理な作業がそこにあるからだ。しかし、その作業は誰でも取り組もうと思えばできないことはない。そういう作業の仕方が見えるように書いてくれている。教材づくりにまで形をなしていないけれど、それ以前の作業で何をしたかの一部がわかる。この作業に続けて加工を行うと、教材と授業がつくれるだろう。以下、ブログの内容と同じだけれど再掲しておく。
 子どもの問いとは、例えば、明治の徴兵制度ができた時の子どもの質問「なぜ士族を兵隊にしなかったのか?」は、興味深い。安井によれば、大村益次郎が士族を「驕慢にして制御しがたき」と述べていたという。戊辰戦争の時の体験から、士族は強盗を働いたり駕籠に乗って行軍したりとダメだったらしい。他にも、近代国家の国民養成という視点などにも論及されている。私的まなざしからみても国民がいかに国家に取り込まれていくかが見える。そこに、近代の構造をみることができる。

 ここからはブログの内容と異なる。

 あれこれ安井が調べなければならなかったということは、ひょっとすると、専門家のまなざしは、子どもの目とは違っていて、曇っているのかもしれない。そういうことを想像させる挑発的な本のタイトルなのかもしれない、などと想像した。(2008.06.27)


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Magazine546:教育7月号 

 教育科学研究会編、国土社、667円と税金。

 二つ特集があるけれど、私の関心は、コミュニケーション特集。岩川直樹論文は、今、力が入れられようとしているその方向=スキルトレーニングの方向の決定的な誤りを、場や身体そして関係の欠如として批判し、それぞれの再編を語る。もう一つ、構成的エンカウンターグループの理論とその実践の批判をカウンセラーである筒井潤子が記す。こういうカウンセラーもいるんだという発見が一番大きいかもしれない。原田真知子の実践記録も多様な読みができて考えることが多い。ここに登場する子たちのイメージがあるだけに考えさせられる。これについてはブログにも触れておいた。今月号は値段の価値がある、と思う。

(2008.06.26)


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Magazine545:リテラシーを育てる授業づくり

 豊田ひさき、黎明書房、1900円と税金。

 私としては久しぶりにこの手の本を読んだ。授業づくりに向かう姿勢が前半では主要に論じられ、中盤から日本の大正から昭和の前半(昭和30年代くらい)までの授業に取り組んだ教師に関する論考を通じてタイトル通りの本にしようとした本。

 主に取り上げられているのは、奈良女高師附属小学校訓導であった清水甚伍と、宮城や福島県で小学校教師をしていた宮崎典男、それから同じく宮城県の今話題の栗原市周辺で教師として勤めた菊池譲の授業である。

 この人たちは戦前戦後の綴り方教師であるが、宮崎などは教科研の国語部会での活動が私たち世代以上では有名かもしれない。ともかく、この人々の授業についての記録として読む方がいい。これをタイトル通りのリテラシーとつなぐために元の原稿を書き改めたようだが、私は元の方がいいと思う。理由は、リテラシー論とつなぐとその言葉をどう定義するかという問題に突き当たり、今話題の言葉と関連する発想はあるとしても返って狭く捉えられてしまいそうな気がするからである。また、私の見地からすると、いわゆる「学力低下」論を容認しているかのような表現があったり、清水を水道方式の源流として位置づけるのは水道方式の定義とずれるように思われたりする。

 ともあれ、授業過程を考える時の発想として日本の先達が重視していた到達点の一つのまとめとなっている。(2008.06.22)


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Magazine544:数学教室7月号 

 数教協、国土社、781円と税金。

 特集は、「僕のイキイキ教室・私のワクワク授業」と題されて、かなりの数の執筆者の定番となっている授業がコンパクトに紹介されている。この特集の冒頭、市川良さんの雑感が私には一番共感できた。ともかく、「長さじゃんけん」とか定番の多くが楽しそうだ。

 この団体は、しばしば、授業研究として、授業のかなり忠実な記録を載せ続けている。こういう団体は少ない。授業を子どもの関係として分析していることは少ないけれど、忠実な記録であるが故に、それが見えることがある。(2008.06.18)


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Magazine543:生活指導7月号 

 全生研編、明治図書、762円と税金。

 今月号は、現代の貧困を問う、として学びにかかわる記録と論文が並ぶ。まず、中野譲の実践記録は、好き勝手に振る舞う小学3年生の子どもたちに、スイカやトマトを作る中でアプローチした記録。中野の場合、ものを作る活動に誘うことから始めるのが定番で、その中からテーマの追究へと発展させる。この展開構造と子どもへのまなざしが印象的。次の豊田健三郎の記録もなかなかいい。ボランティアを自分や老人の「ひとりぼっち」と重ね合わせていく。

 中学の柏木修の記録もコンパクトに記述されていて、国語教師がどう討論をつくっていくのかに参考になると思われた。それにしても、そこに紹介されているアルバイトの時間の切り捨てやバイトに弁償を求める職場の多いことがわかる記録。学生によれば、切り捨てを行っているのは、高島屋。弁償を求めるのは不二家。固有名詞を敢えて書いておきたい。不法大国日本というところだ。

 読書案内の白桃さんの文章は暖かい。(2008.06.14)


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Magazine542:ケアすること 

 上野千鶴子、大熊由紀子、大沢真理、神野直彦、副田義也編、『ケア その思想と実践2ケアすること』岩波書店、2200円と税金。

 この巻は、福祉関係職員の専門性とは何かを問うている。この本は、理論編・データ編・実践・臨床編という構成となっている。

 副田が介護労働論で枠組みを語り、高口は自信の介護職員としての経験から語り、中村は『よいケア」について原理的に問いかける。この中村の議論と感情労働として介護について議論する田中の検討は現在の介護職の特殊性を描き出そうとする試みとして受け止めたい。

 介護におけるコミュニケーションの場面でしばしば登場するという「ウソ」についての議論がこれが興味深い。痴呆状況にある人とのケアのあり方を真摯に追究する姿勢にも得るところがある。(2008.06.11)


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 Magazine541:中学入試国語のルール

 石原千秋、講談社、740円と税金。

 能力主義に浸かりきった本。(2008.06.07)


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Magazine540:ホロコースト 

 芝健介、中央公論新社、860円と税金。

 この問題についての個別の事例に関する本はいくつか読んだことがあるが、全体像を示そうとしたまとまった本を読んだことがなかった。その点で、本書は良い本だと思う。例えば、絶滅収容所と強制収容所という言葉は聞いたことがあったなあと思うが、その区別について曖昧だった。これに対して、概念的説明だけでなく、政策的展開過程と出来事とつきあわせながら記そうとしている。

 ホロコーストに係わる本や映画にしばしば登場する「最終的解決」とか「合理的措置」という言葉が頻出するが、それが虐殺や抹殺を意味することは知っていたが、各収容所での数とともに語られると人の行為としての恐ろしさやはり感じる。そして、現在の社会で使われる時々の言葉にも実は同じようなことがあるように思えてきてしまった。

 本書の最後に、ホロコーストの始まりやその原因、その遂行を可能にした条件に関するいくつかの立場が紹介されている。これは研究の到達点の概括となっていてその筋の人には役立つ気がする。これは一読に値する新書。(2008.06.04)


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Magazine539:子どもの貧困 

 浅井春夫・松本伊智郎・湯澤直美編、明石書店、2300円と税金。

 現代の貧困は、若者を中心にまず話題となり、次に中高年の貧困へと広がって注目されるようになった。本書は、必然的に、子どもに焦点を合わせることとなった。とりわけ、福祉関係者による子どもの貧困の実相を浮かび上がらせる構成となっている。保育、児相、各種保護施設、少年非行などの中に現れている貧困問題を、絶対的貧困としてだけでなく、文化的貧困の視野からも明らかにしようとしている。2章では、子どもの貧困と家族、3章では外国の貧困研究に論及され、4章では貧困への政策的提言がまとめられている。子どもの貧困研究現在やデータのありかが示されている点でも有意義な本と言えよう。

 ただ、教育に係わる側からすると、子どもの文化的な貧困の問題は、まだ、これからだと思われる。例えば、学びの観点からすると子どもたちの貧困はどこにどのように現れているのか、社会的な関係の取り方はどうなのかなどさらに実相を明らかにする必要があるなあと思わされた。そういう意味でも課題を出された感じで受け止めている。 (2008.06.02)


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