「授業を成立させる」の課題
1 はじめに
実践の手引きシリーズの第三冊目として『授業を成立させる』が刊行されました。この本
は、教師が授業運営上悩んでいると思われる項目に応えようとした第一部、授業を成立させ
ることと生活指導の関わりや教科指導のあり方をいまどのように捉え直すかなどについて論
じた第二部、最後に教科教育とは何なのかを論じた第三部から構成されています。いずれも、
日本生活指導研究所の経験豊かな執筆者によって書かれていますから、要領よくまとめられ
ています。この本の良さは、ベテランであるがゆえに問題の捉え方や手法を新しくしてきた、
そんな点が各所に見られるように思われることです。そんな点を取り上げつつ、それでもな
お、新しい展開が必要ではないかと思われることを述べてみます。
2 時代と共に指導する
時代と共に指導のありようは、変化してきました。原則は変わらないと言う人もいるでし
ょうが、やはり変わってきたように思います。本書の場合にもその変化がよくわかるところ
があります。それは、座席の決め方やみんなが発言する学級にどうするかという項目に特に
明瞭です。
座席の決め方は一般に班編制と連動していますから、くじ引きで決めたりすることには嫌
悪感をもっている教師も多かったのではないでしょうか。それに対して、くじにしたがる子
どもたちの今日の傾向を読みとり、大事なことは子どもと決めることなのだと強調していま
す。そんな点に変化が読みとれます。くじでもいいんだという構えの中で実践する寛容さあ
ります。
また、みんなが発言する取り組みでも、かつては発言競争のような取り組みが説明されて
いましたが、ここにはそんな取り組みの影も形もありません。どうして発言できないでいる
のか子ども毎の事情を読みとりながら、他者とコミュニケートすることの意味を一つひとつ
明らかにする取り組みが書かれています。このように、今の子どもの気分やその気分が生ま
れてくる社会的背景にも目配りしながら、基本的な取り組み方やその糸口が示されているよ
うに思われます。
だから、この本を読むとき、そのやり方をまねることで一定の前進をもたらすでしょうが、
読み込んでほしいのは、その取り組み方の歴史性や子どもを見ながら方法を変えるという考
え方です。
3 寛容と批判的創造
新しい展開が必要だと考えた点を提起してみます。それは、点数にこだわる子どもに対し
て「人間のいろいろなよさを知る」という項目などに関わる部分についてです。能力主義が
はびこっている中で、点数にこだわり、点が低いと自己否定感情に襲われたり、他者への優
越感にひたる子どもたちが確かにいます。そうした子どもの方が多数派と言ってもよいでし
ょう。これに対して、「子どもを多様な価値観、豊かな価値観、広く大きな価値観で見、生
き生きとした伸びやかな子どもに育てていきたい」と主張します。そのために、親との対話
を進めると共に、子どもにはいろんな子どもの「よいところ」を明らかにしていく取り組み
が紹介されています。これは、寛容の指導と言ったらよいでしょうか。
点数だけを基準にする考え方に対して、実践的には、別の基準を示していくことに重点を
置く時期もあると思われます。しかし、そうした把握だけでは、「いろんな人間がいる」と
いう把握に留まってしまいます。つまり、点数の高い人間も、別のことによい点をもってい
る人間もいるという「基準の多元化」が生まれるだけなように思われます。
そうした状態では、点数が高いこと自体は相変わらず「よいこと」のままに留まります。
点数が高いことを否定すればよいなどと言っているわけではないのですが、それ自体を相対
的に捉えることが必要だと思うのです。点数が高いことにどれほどの価値があるのか、知が
力となるような知であるのか、そんな見方にも拓いていく必要があると思うのです。
一方的に否定してくる力に対しては、「基準の多元化」が対抗戦略になる部分があると思
うのですが、「基準の多元化」では対抗戦略にならない地平もあるように思われるのです。
とりわけ「個性化」を強いられる状況の中では対抗戦略にならない可能性があると思うので
す。自分にはよいところがないと思っている子どもには、「基準の多元化」も抑圧でしかな
い可能性があります。
そのことは、「生活指導の側面から考える」に登場する一夫に関わる学校の取り組みをみ
るとよくわかります。孤立的な学びを集団的な学びにするために教えあいなどが全校的に組
織されていきます。これはこれで重要な指導ではありますが、関さんによればそれでは授業
を妨害したりエスケープしていた一夫の悩みは解決しないとしています。寛容であるだけで
は救われないのです。学びの内容と有り様自体を変えない限りだめではないかということだ
と思います。もしそうなら、学びの内容と有り様自体を変えながら、点数の高さとは何であ
ったのか捉え返すことが必要です。そうして、自己の価値基準自体を批判的に捉え返すこと
が必要です。成績のよい秀二の場合にも、「みんなの医者をめざす」という知の集団的側面
だけでない指導が必要であるように思われるのです。それが何であるのか、その指導を批判
的に創造することがこれからの課題ではないでしょうか。実は、そのヒントもすでに部分的
には示されているのが本書であるように思われます。
4 現実を学ぶことの位置づけ
ヒントというのは、関さんの文章の最後に書かれている生活現実を学びの対象にしていく
こと、釈さんの「教科指導を問い直すー地球市民に相応しい学力」などに含まれていると思
います。しかし、それぞれの論述上にいくらか不十分さを感じた点があります。一つは、中
学校という入試圧力の最も高い階梯で困難でしょうが、生活現実の学びこそが旧来の学力を
食い破るものになることを一層明確に位置づけていくこと、しかも生活指導としてよりは教
科指導として位置づけることが必要ではないかと思いました。
二つには、小寺論文の読み方に関わっています。その主旨は数学の基礎学力も必要だとい
うことを述べているのではなくて、「子どもたちは、数学を学問として身につけるために系
統的に学ぶのではない。自分自身が成長するために、そして現実をより深く理解し様々な課
題を解決するために、数学をまなんでいく。」(『時代は動く!どうする算数・数学教育』
165頁)にあります。ここが明確でないために、折衷的な把握になっているような気がしま
す。旧来の系統性やそれを学力として認知すべきかどうかを捉え返すまなざしを持ちながら、
学びを成立させていくことが重要だと思うのです。
5 教科書と学習活動
最後に、若干の要望を述べて終わります。教科書とどうつきあうかという問題について、
「教科書を教える」ではなくて「教科書で教える」という見地を強調しています。教科書が
必ずしも絶対でないと構えて、真理に接近しようという立場は大切な考え方です。しかし、
教科書以外の教材を創造するという点も強調して欲しいと思います。また、楽しい学習活動
のイメージについても、坂本泰造さんが書かれたような討論の指導だけでなく、ワークショ
ップなど活動そのもののイメージを広げるような叙述もあると一層よかったと思います。以
上のような要望はありますが、全生研の知恵が濃縮されたような一冊でした。