『小金高生シンガポールをゆく』を読んで

                        

 本書の価値は、海外へ修学旅行に出かけた記録という点にあるのではない。

 小金高校と言えば、日の丸や君が代の強制に対して、生徒の自主性を貫いてきた学校であ

る。その学校の教育活動の一端が本書によって示された。これが、本書を読む第一の価値で

ある。自主性への要求こそが、強制とは比較にならない優れた教育活動となることを示して

いるからである。例えば、教師集団が修学旅行をつくっていく過程において教師間の対話を

重視し、困難に直面するたびに生徒の自主性と自主的判断を尊重していく方向で解決し、そ

のことが生徒の力を発揮させることになる場面がいくつも出てくる。

 本書を読む第二の価値は、修学旅行を「総合学習」として位置づける一つのモデルとなっ

ていることにある。すでに、修学旅行を「総合学習」に位置づける実践はいくつもあった。

しかし、その多くは、従来の行事としての修学旅行の準備時間を確保するために、名前だけ

位置づけを変えたにすぎないものも多かった。これに対して、本当に、学びの要素を全面に

だして取り組んでいる。しかも、1年の時から3年の卒業までを見通して、問題意識を喚起

しながら、グループや個人でのテーマ研究へと誘う一貫に位置づけている点で学ぶことの多

い記録である。

  第三に、同時に、そこに課題も読みとれる点で問題提起の書である。それは、修学旅行と

いう制約がテーマ選択を制約する問題である。旅行地を生徒が決定したとしても、準備の都

合上、旅行地に合わせてテーマを選択する順になる。そこで、すべての生徒の学びのテーマ

をいかにつくるかはなお難しい。これを率直に示している点でも読む価値がある。

 だから実践としては貴重だが、これを総合学習として位置づけるのは本来的には、つまり、

実践の自由がもっと学校に存在していれば、修学旅行は教科外活動として位置づけるのが私

にはよりベターだと思われる。社会科の一環として海外への調査旅行が可能であるならば、

それは、教科学習に位置づけて取り組みたいというのが本当の意見である。

(2004年4月、8月追加)

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