田中耕治著『指導要録の改訂と学力問題』(教育方法学研究第28巻2003年)

                        

 

 田中氏は、教育学的見地からの評価論を主要な研究領域としてきた数少ない研究者である。中内敏夫氏や稲

葉宏雄氏を到達度評価研究の第一世代と呼ぶことができるとすれば、第二世代に属する研究者と位置づけるこ

とができるであろう。そうした研究者の著作であるだけに注目されるし、また、相対評価から絶対評価への移

行や学力問題が世間的には宣伝されている時だけに、本書の刊行は時宜を得たものと言えよう。後に論及する

が、新たな議論の展開も含まれており、注目されるべき一冊である。本の構成を紹介し、新たに提出された論

点に関する一つの受け止め方を部分的にではあるが記すことによって書評の責を果たすことにしたい。本の構

成は、以下の通りである。

 はじめに

 第T部   指導要録改訂期における学力評価の問題

   一 四つの検討課題

   二 戦後教育評価観の位相と転換

   三 学力・学習モデルと評価の問題

   四 総合学習における評価の問題

   五 評価の仕組みの問題

 第U部 総合学習における学力評価の問題

   一 今日の学力問題で問われていること

   二 「学力低下」問題と総合学習

   三 総合学習の教育目標を構想する

   四 総合学習における教育評価の在り方

 第V部 学力評価研究の最前線

   一 教育目標設定の論理

   二 オーセンティック・アセスメントとは何か

   三 学力評価研究の争点

 おわりに

 資料編・索引

 章立てからもわかるように、本書は、指導要録が改訂され、相対評価が絶対評価へ変更されたが、そのこと

の意味を評価論として深く捉え返えそうとするものである。より具体的には、主観的な絶対評価に押しとどめ

たり、限りなく相対評価のままにしておこうとする動向への批判意識を土台に各論が展開されている。この点

が第一の特徴である。田中氏は、「目標に準拠した評価」への変化を相対評価の放擲として、一歩前進として

捉え、評価研究の側から目標づくりや授業づくりと関連させつつ、評価を実質のあるものに変えていくことを

力説する。こうした主張は、評者も多くの点で賛同できるものであった。

 第二の特徴は、到達度評価と個人内評価の内的結合を田中氏は近年主張してきたが、これに関するさらなる

展開をするために本書が編まれている点にある。直接には、第一部と第三部にその点に関する議論が取り上げ

られているが、他の章節においてもそのことが意識されているように思われた。すなわち、単に、到達度評価

論に加えられてきた批判に応えたり、到達度評価と個人内評価の結合を解説するというのではなく、学力論や

総合学習の評価に関する論述を行っている部分でも、内的結合が意識されているということである。戦後の評

価研究の流れに関する論及もあるが、これも本来の教育評価の在り方を示すことで内的結合という主張を基礎

づけようとしていると読んだ。ただし、この二つの内的結合という主張は、一層の詳細な理論的説明、実践的

イメージを描き出すような叙述が必要であるように思われる。

 本書の第三の特質は、近年の学習論と評価論との対応、総合学習とその評価論についての簡潔だが興味深い

提案を行っていることである。本書には、かつての到達度評価研究の方向をふまえつつ、発展させようとする

意欲的提案が含まれている。

 さて、以降では、いくつかの疑問ないし検討課題を提出してみたい。

 一つは、絶対評価への変化をどう値踏みするかという点である。田中氏は、「このたびの要録改訂は、この

二重構造(相対評価と個人内評価の接合ー引用者)をラディカルに転換する可能性を秘めた提起であって、ま

さに新世紀を展望するにふさわしいものである。」(27頁)と、慎重ながら高く評価する。「可能性を秘め

た提起」という表現に慎重さが示されており、さらに、このたびの評価観が本当に相対評価を放擲するのか、

学力格差を拡大する危険性すらあることも指摘されている。しかし、なぜ今回「目標に準拠した評価」へと転

換したのか、その原因・動因についての分析がない。教育課程審議会の答申『児童生徒の学習と教育課程の実

施状況の評価の在り方について』が引用され、いわゆる絶対評価へ転換したことが示されているだけである。

今回のような転換がなぜ行われたのか、その原因をどのように把握するのかについての分析が聞きたいもので

ある。おそらく原因は、相対評価が欠陥ばかりで非教育的であるという理由ではないだろう。そのような教育

学的観点から評価の原理が変えられたとは思えない。すでに始まっている絶対評価は、成果主義の人事考課に

ならった転換ということが背景にあるのではないかと思われる。ポートフォリオ評価や自己評価を組み込んだ

評価は、それと親和的要素を持つのではないか。そうだとすれば、新しい学習指導要領や指導要録において期

待されている目標そのものが妥当性を持つ内容であるのか、根本的に検討する必要があると考える。その際、

現在世間でいわれているように、単に従来からの「学力」や「基礎学力」という枠組みで、その量や質の問題

を議論していたのではあまり意味はないであろう。なぜなら、社会における成果主義の評価によって勤労市民

が追い込まれているのと同じように、子どもたちも、学校・教師から示される到達目標とそれに向かい合わさ

れて行う自己評価によって事細かにチェックされ、追い込まれていく可能性が高いからである。

 二つには、上の議論と関係してくるが、子どもの評価への参加という論点である。このことについても田中

氏は慎重だがかなり大胆な問題提起を行っている。それは、教師だけが評価行為を担うのではなく、保護者も

子どもも「評価参加者」と位置づけ、三者の集う典型的場面がポートフォリオ法における「検討会」だとし、

そこで決定されたことが社会的決定を組み替えていくと述べている点である(134頁)。教師と子どもと保

護者という三者の間にも権力的関係があり、さらに、学校という単位における三者関係においても権力的関係

があり、さらに国家のレベルに到ればその力の格差は大きなものがあると想定される。とすれば、「検討会」

レベルにおける共同決定が、社会的決定を組み替えるための制度的保障、運用における民主主義の確保方策な

ど、田中氏の見通しを実現する方策が示される必要があろう。少なくとも実践事例などによって例証されるこ

とが課題となるであろう。

 三つには、観点別評価あるいは学力モデルに関わる論点である。本書には資料として戦後の指導要録が付さ

れているので参照していただきたいが、いわゆる観点別学習状況欄についてのより一層の批判的展開を期待し

たいのである。確かに、評定の要不要、観点項目自身の妥当性や要不要について検討が必要だという指摘はあ

る。しかし、そうした指摘を越えて、この間、強引に観点ごとの目標づくりを行わせられた教師たちの疑問に

早急に応える必要があるからである。評者は、分析的な目標を設定をすること自体への批判的な吟味が必要だ

と考える。目標の分類学への批判を含めた理論的展開を期待したいと思う。

 四つには、総合学習の位置づけと、その評価についてである。田中氏は、教科学習を learnからresearchへと

展開するもの、総合学習をresearchからlearnを捉え直すことと区分し、総合学習の評価について6つのねらい

と評価の観点を提案している。この区分けは、評者のように原理的に総合学習と教科学習を区別していない者

にとっては、説得的とは言えない。少なくとも、より詳細な教育課程構造に関する展開を別の機会に望みたい。

そうした要望はあるが、当面の総合的な学習の時間をより明確な教育活動の時間に組み替えようと、そのねら

いや評価の観点を提出した意味は大きいと思われる。テーマ接近度、思考力の育成、方法知の獲得、表現能力

の形成、共同性への志向、自己評価能力の育成という、この枠組みを形骸化することなく、それらの6つがテ

ーマや子どもたちの現実への批判的まなざしと結び合って利用されるならば、実践を捉える有力な方法となる

であろう。

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