学級規模と習熟度と授業方法の調査研究批判

                      

1 問題の設定

 国立教育政策研究所は、「指導方法の工夫改善による教育効果に関する比較調査研究」とい

う報告書を公表した。新聞報道では、「いつものクラスで授業を受けるよりも、勉強の出来具

合に応じたグループに分かれて習うほうが学力がつく。国立教育政策研究所が4日、そんな研

究結果を公表した。」(朝日新聞6月5日付)と報道した。

 しかし、この報道は真実ではない。実際は、最初から勉強の出来具合に応じて分けた場合に、

知識に関するテスト結果が高得点だったのは一つのケースに過ぎない。

 そもそも、調査報告そのものがいくつかの問題を含んでいる。日常語と統計の用語を混在さ

せ、謝ったイメージへと誘導するものとなっている。おそらく、この調査データは各所で「科

学的研究」として利用される可能性がある点で、無視できないものとなるだろう。そこで、い

くつかの原則的批判を展開しておきたい。

 

2 調査報告書のまとめ方

 何をどんな風に調査したのかを先に確認しておこう。

 小学校4年算数単元「2けたでわるわり算」,6年算数単元「分数のわり 算」,中学校2年数

学単元「図形の性質」及び,英語「比較」単元を調査対象とし,それぞれ単元終了後1週間以内

を目途に,「学力テスト」及び「学習 及び生活に関する調査」を実施した。後者の調査は、意

識調査であって、いかなる実態を伴った授業が本当に行われたのかは、実は不明である。この

点は、きわめて重要な意味を持ってくるので、予め注意を喚起しておきたい。つまり、いわゆ

る学力調査と関心意欲や学習態度、あるいは授業方法をクロスさせているが、そこに客観的根

拠は存在しない。あくまで主観的意識調査なのである。

 なお、対象人数は、各学年とも約4000人から6000人。

 授業タイプを次の7つに分けたという。人数による違いと、いわゆる習熟度別授業の複数タ

イプを調査したというわけである。

 <7つの授業タイプ>

 タイプ1:40人程度(35~40人)学級を教員一人で一斉指導を行う

 タイプ2:30人程度(25~30人)学級を教員一人で一斉指導を行う

 タイプ3:20人程度(15~20人)学級を教員一人で一斉指導を行う

 タイプ4:30人~40人程度の学級をTTにより2人で一斉指導を行う

 タイプ5:学級を解体し,15~20人程度の均一割学習集団で一斉指導を行う

 タイプ6:学級・学年合同集団で習熟度別学習(到達度別学習)を行う

 タイプ7:学級・学年合同集団で習熟度別学習(完全習得学習)を行う

 結果として、次のようにまとめている。このまとめ部分が報道されている。

 4年の算数では、「学力」形成については,タイプ6の「到達度別学習」において,学力の底

上げ効果 が認められ,有効性が認めら、興味関心と学習態度についてタイプ1が有効だとし

いる。

 以下、6年の算数では、タイプ5の15~20人程度の均一割集団で一斉指導が学力が高かった

とし、興味関心と学習態度ではタイプ2が有効だったとしている。

 中学2数学では、素点平均では、タイプ3が最も高いが、タイプ7が他の観点でも有意だと

している。

 中学英語では、これもタイプ7が有効だとしている。

 こうして、いわゆる学力については、タイプ6あるいはタイプ7が有効という印象を与える

記述になっている。いわゆる習熟度別授業の二つのやり方が有効だといっているように映る総

括をしている。しかし、果たしてそうだろうか。

3 学力の平均点は少人数の有効性を示す

 いわゆる学力の平均点だけで見ると、小4はタイプ4が最高点。小6はタイプ6が最高だが

その差はタイプ2やタイプ5と0,01しか違わない。中2数学では、タイプ3がタイプ7よ

り1点近く差を付けて高い。中2英語ではタイプ7が高いが、興味関心や学習態度では他と比

べてよいわけではないが、何故か「よい」という記述となっている。

 こうした単純比較で見ると、少なくとも、習熟度別の二つのタイプが有効だとは言えないこ

とをまず確認しておきたい。

 逆に、学級規模において、人数が少ない方が単純平均点は、小6を除いて高いということで

ある。このことは確認しておいてよいように思われる。知識記憶を計測したテスト結果につい

ては、授業を受ける人数が少ない方の得点が高いという傾向を示しているのである。どのよう

な形態の授業を受けているかを分析する前にわかってしまう単純事実が報告書では、検討要因

を並べることで無視することになっている。これは、この調査における授業方法の分類と関連

している。節を変えて検討する。

4 授業方法の分類の問題

 授業方法の分類はきわめてご都合主義的であり、この調査で分類された授業方法が授業の阻

害要因を改善するものだとは言えないことを指摘しておきたい。これが言えないとすると、個

別化された習熟度別学習が有効だとも言えないことになる。授業の阻害要因ーすなわち授業の

速度が早いとか、教師の説明がわかりにくいなどのことであるがーこれを改善するには個別学

習がいいという調査をしているわけだ。しかし、何を個別学習の現れと見るかという点で、調

査には問題があると言っているわけである。

 報告書は他の要因との比較からタイプ6や7を有意だとか有効だとかと述べている。しかし、

その有意あるいは有効という前提となる質問や具体的状況を見ると、そうした意識調査では少

なくとも判断できないのである。

 例えば、個別学習の機会の確認的因子には、「先生にさされたこと」「先生や友達に質問し

たこと」「友達と相談したり,話し合ったりしたこと」「授業中,先生にノートやプリント を見

てもらったこと」が挙げられている。これらは、個別学習に固有な因子であるだろうか。

 個別学習の中で、そういう機会はあるだろう。しかし、一斉学習をしているときにも、発生

する事態であり、生徒の質問を受け付けない授業などということを想像する方が難しいのであ

る。だが、統計処理するときには、個別学習にカウントされてしまうのである。因子負荷は変

えられているとはいえ、上記4項目を行わない「一斉授業」などというものが現実にあるのだ

ろうか。

 通常は上述の例にあるような「個別学習」と「一斉授業」とは組み合わさっているのではな

いか。そうだとすれば、それぞれが学力を付ける要因かどうか、関心を育て学習態度を育てる

要因かどうかを決めることはできない。まして、意識調査ではわからない。

 これでは、一斉授業と個別学習の違いを厳密に検討したことにはならない。しかし、二つに

区分され、調査目的に合致した数値にされている。

 

5 調査における到達度別学習と完全習得学習とは

 「到達度別学習」と「完全習得学習」という言葉が今回の調査で使用されている。この言葉

は、辞書的な意味とは異なるニュアンスで使われている。

 報告書によれば、「到達度別学習」とは、「新たな単元の授業の開始前に,児童生徒の習熟状

況を診断し(児童生徒の希望も入れながら),その結果に基づいて2~3の習熟度別の学習グループ

に分かれ,それぞれでグループ学習ないし個別学習に取り組む,といった授業タイプ」。単元を最

初からいわゆる能力別に分けて授業をするタイプなわけである。

 この問題は、診断が正しいという保障がないことが一つ。学習する前に、何に到達していたと

いうのか。

 二つには、仮に診断が正確であったして、同水準の者が集まるとわかるようになるとは言え

ないことである。その到達別ごとに、ログラムの開発が不可欠だが、どのようなプログラムが

使用されたのかは不明である。調査がしているのは、形態上、最初から能力別グループを編成

した場合を示したに過ぎない。

 

 「完全習得学習(マスタリー学習)」に至っては、その概念をさらに修正している。調査報告書

は、「まず,教師が新たな単元を一定時間かけて共通授業を行い,その後,児童生徒の習熟状況を診

断し(児童生徒の希望も入れながら), その結果に基づいて,習得した者(概ね80%以上の通過者)は

個別に習熟ないし発展的な問題に取り組み,未習得者は補充指導を受ける。そして,補充指導の結

果,通過者は, 随時,習得者の取り組む習熟ないし発展的な問題へと進む,といった授業タイプ」と

説明されている。

 完全習得学習は40年以上前にキャロルによって提唱されたが、その理論的前提は「能力差は

時間の差に置き換えることができる」という考え方である。だから、完全取得学習を行うという

ことは、辿る道と時間は違っても同じ結果をもたらすということ、そういうプログラム開発をす

ることとセットなわけである。しかし、今回の調査では、単元の途中で枝分かれしたプログラム

を行い、到達点も違っているようだ。しかし、時間は違わないようだ。ここで、「ようだ」と推

定となるのは、単元にかける時間数を変えて実施している学校はほとんど存在しないが、報告書

にはそのことを明示していないために推定の表現とした。この推定が間違っていないとすると、

これは、完全習得学習を名乗っているが、実際は、その構想とは異なる授業を実施していること

になる。言葉のイメージを悪用していると思われるのである。完全習得がすべての人に保障され

るかのような言葉の使用だが、実際はそうではないということである。完全習得学習の理論の側

から言えば、それは不完全習得学習なのである。もっとも、完全習得学習の理論的前提は、本当

は行動主義の原則に貫かれており誤っていると考えられる(いわゆる能力差を時間差に置き換え

ることがいつでも成立するとは考えられない)。このことの議論はおくとしても、言葉を悪用し

ているとだけは指摘しておきたい。

 調査の仕方、理論的前提、分析の総括の仕方において「科学的」とは言えないことを指摘して

おきたい。それぞれ問題の多い報告書である。(2004.6.14脱稿)

 

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