学習集団を今構想し直す (2003年)
1 低調な学習集団実践
今、いわゆる学習集団の実践は低調です。それはなぜなのでしょう。長く学習集団の実践を追求してきたある
教師は、以前のように学習集団の手法によって授業を行ってはいないと語っていました。今は、いわゆる総合
学習的授業と民間教育研究団体の定番となった授業、それにかつての学習集団の手法を部分的に採用した授業
などを混在させながら実践していると言います。それで全体として納得のいく実践となっているかというと不
十分さを感じるという趣旨のことも語っていました。こうした状況が全国的にもあると思われるのです。授業
は多くの要因によって成り立っていますから、こうした状況の原因を単純に断定することはできないのですが、
学習集団の実践を捉え直すという見地から考えてみたいと思います。
そんな状況があるのですが、しかし、孤立した学習、強制の教育が広がる現在、これに対抗するには学習集
団の理論と実践がむしろ重要さをましていると見ることもできます。そうした見地から、学習集団とは何であ
ったのかを急いで確認し、今の状況に合った学習集団の構想へと組み替えていく観点を提出してみたいと思い
ます。
2 学習集団とは何だったか
今、学習集団というと、少人数教育を実施するさいに学級集団を解体して編成される組織のことを思い浮か
べる人もいることでしょう。しかし、ここで取り上げる学習集団は、少人数教育のために能力別に編成された
組織のことではありません。子どもたちの学習権を互いに保障するために組織された集団のことであり、学び
に必要な子ども同士の関係の仕方を開拓する中で生み出されてくる集団のことです。
学習集団の理論と実践は、大西忠治氏を中心としたグループと吉本均氏を中心としたグループで追求されて
きました (1)。そこで研究されたことの一つは、教師の発問の仕方を様々に工夫しながら、みんなで考え合う
活動を組織する方法についてでした。質問と発問の在り方を教材に即して設定し、その働きかけに応じて問答
したり、グループや学級全体での討論を導き出す実践を生み出してきました。問答や討論もそれぞれをどのよ
うに導入し質的に発展させていくのかなど緻密な指導の筋道を解明してきました。
二つには、学習権をいかに子ども自身のものにしていくのか、その指導の方法が研究されました。学習集団
のリーダーや班員は授業の時にどのように行動することがお互いの学習権を保障することになるのかを具体的
に明らかにし、それらを学習スタイルと呼び、子どもたちの必要に応じて改廃する筋道を探求してきました。
教師の言っていることがわからないときにはどうするか、子ども同士の援助の仕方などを具体的に追求してき
ました。
三つには、ものごとの分析の仕方を学習方法として解明し、それを子ども自身の思考の武器として教えるこ
とも学習集団研究が追求してきたことでした。文学作品の読み方、社会事象の数量的把握の仕方などを実践と
して試みてきました。
上記の三つに関する多くの理論書や実践記録が刊行されてきたわけです (2)。
3 学習集団論の抱えていた問題点
学習集団実践は学習権を保障することが基本でしたが、学習スタイルの定着、つまり一定の学習行動を定着さ
せることが優先されがちでした。学習スタイルを教えていく手段として評価活動が多用され、結果的に教師の
都合に合わせて子どもの学習活動を従属させる傾向を生みました。子どもの側から見れば、ひとつひとつの学
習スタイルの意味もわからないままに駆り立てられることもあったわけです。学ぶ意味が捉えにくくなってき
た時代状況があった上に、これでは子どもがその指導に乗らなくなってくるのは避けられない事態でした。こ
れが一つです。お互いにどんな関わりをすることが学習権の保障となるのかゆっくりと実践することが必要だ
と思われます。
二つには、学習集団の想定していた授業モデルが問答や討論に傾斜していたことでした。学習集団の実践とい
うと、グループと学級での討論をいかに成立させるかというイメージで捉えられる傾向があります。実際そう
いう報告が多かったわけで、根拠のないことではありません。そこに潜む問題は、討論の重視が言葉主義的な
理解を強いる傾向を持ったことです。集団思考と呼ぶ優れた討論も生まれましたが、言語的やりとりだけで一
定の納得や結論を引き出すこともありました。発問や助言のもとでの討論は大切ですが、討論で決着をいつも
つけるのではなく、事実の確認、調査に立ち戻ることも必要でしょう。
三つには、前述の裏返しですが、調査活動や表現活動などの学習活動が学習集団実践の中に十分には取り入れ
られなかったことです。問答や討論をその他の多様な学習活動と結びつけ、それぞれを全体として学習集団の
指導と掴むことが必要だったのではないかと思われます。多様な学習活動の中の一つの方法が討論なのです。
どの学習活動の局面でも学習集団を育てる取り組みと位置づけることが必要です。
以上のような問題は、当時の授業指導観に規定された問題でもあり、学習集団実践が一人責任を負わねばなら
ないわけではありません。また、「新学力観」の時代の学習論は、ねばり強く思考したり、他者と交流するこ
とを軽視し、安易な個人の発表学習を流行らせました。そんなことも学習集団実践を後退させることになりま
した。こうしたかつての学習集団実践を組み替えながら、現在の教育状況を切りひらく方向で構想する必要が
あります。それでは、どこをどう変えていくのか三つほど提案してみます(3)。
4 今、学習集団を変える
今、学習指導要領に記された内容を基礎としてドリルによって覚え込ませ、能力別の学習が支配的となってい
る学校もあります。教育方法的には40年以上前の認識に戻ってしまったような状況があります。そうした中
では、「わかる」ことを重視した授業に変えていくことが大切となるでしょう。また、他者とかかわりながら
学ぶことが相変わらず軽視され、孤独な学習となっていることも多いわけです。こうした状況を変えるには、
「みんなと共に分かり合う」ことを大切にしてきた学習集団論が重要な手がかりを与えています。
一つは、他人と学び合う経験を広げることです。孤立した学習、他人よりも良い成績を追求させられている
中では、この共同の体験がまず必要です。グループで連句を作ってみたり、一緒に町の調査にでてみることな
どが優先されるべきでしょう。優勝劣敗の競争的学習の中に学習集団は生まれません。競争相手ではない人間
の発見が必要なのです。そうした体験を意識的につくりだすことが基本だと思います。
二つには、学習スタイルの構築をかつてのように追求するのではなく、他者とかかわる学び経験に注目し、
その時ごとに子ども相互の関係の仕方を指導していくことです。一定の行動を指導的評価によって運動論的に
定着を目指すことはやめるのです。学習集団全体の指導目標として、組織的な共通の行動スタイルを挙げるこ
とを少なくするわけです。「運動論的」な指導的評価は、これを用いないようにするわけです。学びの進行状
況に合わせてその必要から生まれる関係の仕方を問いかけたり、提案していくようにするわけです。こうして
学習スタイルの定着に血道をあげるのではなく、学習のために必要な行動の仕方を示しつつも、他者との関係
性の有り様を意識化することに重点を置くわけです。
三つには、学習活動の多様さを追求することです。すでに論じたように調査・表現活動などを組み入れた学
習活動にしていくわけですが、討論も多様化するわけです。発問・助言によって導く討論だけでなく、シンポ
ジューム、ディベートなどの形も取り入れた対話・討論とするのです。コミュニケーションの多様さも追求す
るわけです。これは、子どもの自主的活動を励ます学習集団として構想してみた提案です。
註
(1)二人の著作は多いが以下の二冊が主著である。大西忠治『学習集団の基礎理論』明治図書 1967年、吉
本均『訓育的教授の理論』明治図書1974年。
(2)例えば、愛生研学習集団研究部会編『学習集団の指導技術』明治図書 1991年の実践参照。この時期に
すでに旧来の学習集団の組み替えが一部示されています。
(3)全生研常任委員会編『学びと自治の最前線』大月書店 2000年、参照。