教育実践部会オフィシャル・ページ

教育実践部会の紹介

 あいち県民教育研究所の一つの研究部会です。教育実践にかかわる実状を調べたり、愛知県内の動向を掴みながら、どのような教育実践が今求められているのかを検討しています。研究所の会員であれば誰でも参加できます。まだ会員でない方も会員となって頂ければ部会員として参加できます。会については、下記アドレスにHPがありますので問い合わせて下さい。2006年9月よりこの頁がオフィシャルページとなりました。

http://www.ne.jp/asahi/aichi/minken/

教育実践部会例会案内

 日時:2007年01月25日(金)18時30分〜20時30分

 場所:あいち県民教育研究所事務所、地下鉄桜通線中村区役所駅下車3分

 内容:実践の検討を中心に行います。

 12月7日は、中教審教育課程部会「審議のまとめ」の検討を子安が行いました。これは、12月23日の民研企画の報告内容の事前検討という意味もありました。もう一つは、日野原の説明文をどう読ませたのかについての報告と検討を行いました。

 ここで元気なら人のために生きなさいということを、どう評価するかをめぐって論議を行った。つまり、日野原のように言うと、病気を抱えて生きるものの生きることの価値が否定されたことにならないか、などという議論であった。

 10月12日は全国学力テストの結果に関する検討を予定していましたが、微妙なところで間に合いませんでした。しかし、およその結果はわかっていたので、結果公表の裏舞台情報を含めて検討しました。

 また、丹下さんの「やまなし」の授業構想について検討を行いました。かなり充実の例会となりました。明滅するままに読むことを巡って意見の違いがあることが印象に残っています。実践の結果が楽しみです。その後、丹下さんが11月には朝日新聞の夕刊で取り上げられたりして、実践部会は注目なのかもしれません。

8月例会

 20日(月)に開催。一度、予定が微妙にずれて開催できずにずれ込む。

 今回は、全国学力テスト(中学校)の内容に関する検討で、ここでも基本的にA問題とB問題について議論。ここで注目は、二つ。一つは、中学校はかなり無回答が多いだろうという予測。しかも、それは、学ぶ意欲の問題というよりは、今回のテスト意義についての中学生なりの位置づけがあるからではないかという趣旨の発言があった。

 もう一つは、B問題で問題の必然性をつくり出そうと苦労している点が見られるのだが、生活的必然性というよりは論理的必然になっているために、ピサ的リテラシーの検証と言えるのかどうか疑わしいという意見が

かなりあった。9月の結果が気になるところだ。

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6月例会報告

 6月15日(金)5名の参加で、小学校の学テ並びに学習状況調査についての検討を行った。

 小学校国語Aでは、問題の内容はほとんどの問題が易しい基本的問題である。しかし、小学生はほとんどの場合、単元テストを行っており、広範囲にわたるテストに慣れていない。また、読み取りに関わる問題など、問題文が短すぎて、文脈的な理解に基づく読みとはならない。

 小学校国語Bは、確かに、PISAに「似た」問題が作成されている。この問題の正答率はかなり低いと想定される。こうした問題に対応した授業は少ないのが現状である。
 会議の進め方に関する設問は、学級での日常的な会議の進め方と乖離している。また、文言上、会議の進め方として問題文にあるような方向が示されていたとしても、現実は、すぐに多数決で決定する傾向があり、社会生活で使えるということにはならない。
 問題事例が興味深い問題とは言えず、かなり面倒な文章となっている。だから、文章を読み取る読解能力というよりは、根気があるかないかが問われているように思われる。これは、算数の問題にも共通に言えることである。友達とは何かに関する青木さんと高橋さんの意見を比較する問題について、小学校の男の子はそうした問題をほとんど考えない。大人の視点からの問題のように見える。スーパーのチラシから情報を他者に伝える問題も子どもの生活からすると必然性がない問題のように見える。

 小学算数Aは、1から3の問題は易しい。しかし、4の式から問題をつくる問題は慣れておらず、正答率が下がると予想される。また、基本的問題ではあるが、20分では終わらない子が相当数に上る。

 小学校算数Bは、通常の算数のテストよりも問題文が長い。子どもは問題文そのものを読むことができない可能性がかなりある。ケーキを組み合わせて買う問題など生活に係わりそうな問題設定となっているが、全国一律のため結局は生活とかかわらない問題設定が多い。最短ルートの問題は、さほど難しいわけではないが、地図の読み方自身が分からない子が多いと想定される。走り高跳びと身長の相関に関する公式には戸惑う子がいるだろう。その意味に立ち止まってしまうと思われる。

児童状況調査
 意識調査と実態調査が混在しているが、意識調査部分には意味がないものが多い。全体として、質問項目が政治的に決定されている。つまり、「早寝、早起き、朝ご飯」という政治、テレビを見過ぎず、携帯も使わず、屋外のスポーツをして勉強もするという品行方正に頑張る「よい子」という政治に規定されて質問が選ばれている。30の「家で食事をするときは、テレビを見ないようにしていますか」に見られるように誘導尋問的質問が散見される。
 「今住んでいる地域が好きだ」のあたりの質問は、社会の一員としての愛国心を問う意図が明白にある。
子どもの体験を聞く質問は、地域の環境に依存しており、各種体験の実体を反映しない。総合学習に関する質問、国語や算数に関する質問は、子どもに聞いているようで、実は、普段の教師の授業の様子を聞くものである。これは、子どもの国語と算数の解答の状況とクロスさせるとそのクラスの授業の在りようが浮かび上がる
ことを期待していると想定される。子どもの点数とセットで教員評価に使われる可能性が高いと思われる。この手法は全国のローカルテストにおいても実施されル恐れもある。

4月例会報告

 4月20日(木)18時00分〜20時30分より、戸城憲二さんに中学校での職業体験学習についての取り組みを報告していただいた。職業体験学習が一方では形骸化、それでもなおその準備について教師の中に負担感がある中で、その形骸化に抗する報告であった。

 職業体験としてただ、その場所に行くのではなく、働くことに内在する技術や知恵が感じられる場所を可能な限り選定したりする中に戸城さんの基本的姿勢とこの学習に期待するものが掴めるようであった。また、修学旅行の取り組みにも、働くことをみつめさせようとするなど、一貫した報告であった。

 しかし、それでも、教師の多忙化の中でマンネリに陥りそうな力が作動しそうなこと、地域の体験場所の選定が難しくなっていることなどが報告された。それでも、働くことを真摯に追求する場所を訪問したりすることは生徒を教育することなどが示された。

新年度方針

07年度の実践部会の方針としては、以下のこととし、進めていきたいと思います。

学テ調査の結果や影響を分析することからはじめ、改訂が予定されている学習指導要領の検討なども進めていく。と同時に実践に目を向け、展望を切り開く方向を探求していく。この中身について、部会で相談しながら運営して行きたいと思います。

2月例会報告

 2月22日事務所にて、3月3日の企画に関わる議論を行った。教師相互の関係について、多様な教師と保護者がいる中で自分の位置を戦略的なリーダーとして位置づけるばかりが言い訳ではないこと、教育実践にも自己責任原則が広がっている中で自分だけの問題として抱え込まないと言われているがただ外に持ち出すだけでは管理的枠組みに押し込められてしまうことなどが話題となった。

この日の結論としては、
1)援助を求めること
2)管理職だけでなく、より多くの人に実状を語る
3)解決策ではなくても、困ってしまう方向の解決策は否定しておく
 また、援助を求めることができるためには、自信がないと言えないので、率先して援助を求めておくことが周囲の教師が援助を求めやすくする雰囲気を作る上で重要。とはいえ、教師集団・親たちとの関係づくりについてさらに検討する必要があるということを確認した。

 二つめの検討課題は、新学力テスト始まる中で、これへの対応が学校等でどのように進行するのかに注目し、必要に応じて対応策を打ち出す。新学テ対策的教育が一方では反復練習として現れ、他方でPISA的対応としても現れる可能性がありその動向を睨みつつ、本来の教育のあり方を追求したい。

 三つには、教師の仕事の国際比較についても研究してみたいということが挙げられた。

 また、教育再生会議の議論の動向についても紹介があった。さらに、ディアウーマンのイデオロギーについての問題指摘があった。

12月例会報告

 2006年12月8日(金)加賀実践の検討そしてシンポの準備の検討を行った。教育実践の報告もあったのだが、話題として盛り上がったのは、学年教師との関係の問題であった。このテーマは、2月のシンポの議論の柱としても位置づけていくことになった。

 この例会の後、1週間で教育基本法案が成立させられてしまったが、事態は一層私たちの研究活動を前に進めることを要請するものとなった。学習指導要領の一層の改悪は必死だし、教育実践を多様に広げるその糸口を編み出していかなければならなくなったからだ。

10月例会報告

 20日は、実践部会を主要な母体とした企画案の検討と、既に始まっている丹下実践の構想の検討行った。

 企画案は、教育課程が変わり、学校評価・教師評価が導入されてくる中で、個々の教師が教育実践でいかに自分の世界を確保しつくっていくのか、その可能性や取り組み方を議論することを主題とする方向でまとまりました。より具体的には、どのように学校は変えられようとしているかを掴みながら、教科的な実践の場所あるいは親や同僚の中で生きる場所をどうつくっていくのか、その観点や方法を検討してはどうかということになった。

 丹下実践については、アフガンの人との交流が既に始まっている中で、これを発展させ、一方通行的な「交流会」ではなく、相互交渉のある交流会をいかに作るかを中心とした議論となった。

8月例会報告

 今回は、橋本さんによる食育の動向とその課題。

 食育の基本問題は、近年、自己責任となっていること。健康増進法みたいだ。政府や行政は、危険な食肉を輸入するし規制はしないから、だから自己責任で食を選択しなさいと。この政策のもとで進められている食育の動向を資料を示しながら報告された。
 そういう動向に対して、目指すべき食育の視点は、食生活の捉え直しを通じて、食糧自給率の向上、食と環境、食と労働の三つではないかと報告された。そういう食育への転換の可能性も示す報告だった。

 ブログにも触れたけれど、フードマイレージあるいはバーチャルウオーターという数値は魅力的な数値だが、その数値だけでは欠けている視点があることも明らかになった。それが労働の視点である。つまり、二つの数値を使うと、日本の自給率の低さもはっきりするし、自給率の低さが世界の環境に負荷をかけていることも明らかになる。しかし、主に途上国の低賃金労働を助長していること等の視点がそれだけでは見えてこない。ここにも目を向けた食育が必要だということである。松下電器や中国のiPod生産工場がひどい労働条件の下で働かせているニュースが流れているが、食糧自給率の低さは、生産国の環境破壊であると同時に、そこで働く労働者の搾取と連動している。「一本のバナナから」などの場合には、環境問題と労働問題が接続していた。

6月例会報告

新年度の部会で何を中心課題とするかを検討。

秋に向けて、それぞれの実践を検討しながら、さらに「わかる」ことに向けてその取り組み状況を交流していくことにした。また、冬には学習指導要領の改定に関わる答申が予定されており、検討していくことにした。

5月例会報告

 5月は、蜷川さんに中学校の学級づくりについて報告していただいた。中学校では珍しいと思うのだけれど、掲示するものをクラスで作ったり、合格祈願の札を作ったり、クラス旗を手間かけて作ったりしている。そうしたことに少しずつは取り組んでいるという中学校の先生は多いと思けれど、こんな風にずっとやっているという人は、今は少ないだろうと思った。記念写真をラミネートの中に入れて下敷きとして使えるようにして子どもたちにあげたりするのだという。中学生たちは、こうしたことを大変喜んで、ずっと大切に持っていたりするという。こういうことに今もう一度注目して良いだろうと思った。

 報告によれば、こうした作業や話し合いをつづける中でクラスにトラブルが発生し、作業をしながら関係や人の見方を話し合っていくことになるのだという。

 トラブルの一つとして、自分を出し過ぎて無視されることになった中学生が自分自身を捉え直していくことになるやり取りが記録されていた。この部分で、人に何かいわれて発言できなくなった子どもの例が提出され、発言が受けとめられていくことの重要さが話された。肯定的な応答からでないと発言しなくなるものらしいということであった。その通りだと思うのだが、私がふと思ったのは、「話しをするということは、否定の可能性に身をさらすことだというのは分かり切ったことではないだろうか。だから、冷やかしや人格批判のような反応は別として、肯定的な応答でなくてもいいだろうに」ということ。肯定的な応答から実践が始まるとしても、それをどう変えていくのかという問題があると思ったのである。ともかく、子どもと事態を問題化していく手法は学ぶべき点が多々あった。

3月例会報告

 2006年3月3日、新事務所での初めての部会。

 丹下さんの実践報告。中身は、世界の言葉の取り組みだ。以下、報告の力点とそれに関するコメントを記しておきたい。

 2学期、子どもの発言意欲が低下していると感じていたという。その原因を教師が発言を押さえているのではないかと考えた。それは、決まった時間数内で授業を終えたいと思うことに起因していると考えた。押さえることをやめて、子どもの声を聞こうと転換した契機は安東小学校の一人の教師の授業と返事。子どもに言いたいだけ言わせていけば教えたい内容は出てくるという掴み方をするようになったという。

 もう一つは、昔からの教育の原則だが、子どもの活動のプロセスを肯定的に評価するということ。

 もう一つ始めたことが、子どもによる指名。子どもが子どもを指名していくという手続きだ。実践的には、丹下さんは、そうした手法を入れながら、他方で、丹下さんも子どもを指名していた。だから、実際には混在させて実践していた。

 例会では、子どもによる指名が一部の団体・地域で行われているが、その意味をどう考えるのかを話題にした。一般的には、子どもの自主的・主体的な姿の表れとして意味づけている状況がある。しかし、子どもの相互指名は、偽装された子どもの主体性であることも多く、つまり、フーコー的な規律現象であることも多い。子どもが指名しているようで、教師の意を汲んで指名するように訓練されていることがあるということだ。

 これに対して、話し合いの場合に、追求すべきは、よく知っている者同士の場合にはいちいち指名することなく発言できるようにすることではないだろうか。しかし、それはいきなりできないので、そこに至る道、ステップとしていかなるステップを踏むかと考えてはどうか、という話しとなった。

 だから、司会者がいて、発言したい者が挙手をし、指名して発言というスタイルも、話し合い参加者が多かったり、よく知らない者同士の場合には必要な手続きなのではないかという話しにもなった。

 もう一つの話題は、子どもの発言を途中で抑えたりせずに、全部聞くということについて。全部聞けば教えたい内容が出てくるということ、また、その時間は先へ進めなくてもやがてそれが生きてくる時が来るということであった。確かに、そうであろう。しかし、多くの教師は、それができにくい。そうした教師を説得しうるためには、さらに条件を明確にする必要があろうということに。

 さて、その条件は何でしょう。例会では、一つは、教えたい内容について教師がそれなりの把握をしていないと、言わせっぱなしとなるのではないかと考えた。だがこれでは、全く不十分。教師が子どもの発言を自分の枠組みに位置づけるだけとなってしまうからだ。これは、教科主義の教師と同じとなってしまう。そうではなくて、子どもの意図を汲み取りつつ、自分の教えたい内容の把握を問いかけ直すことが行われる必要があるだろうということに。つまり、子どもの言いたいらしいことは、教師が理解している教えたい内容の把握をどこで批判・修正しようとしているだろうかと反省することができなければならないだろうと。

 以上のような話しをしました。次回例会は、3月の所員会議の際に日程と内容を決めることにして散会。

1月例会報告

 2006年1月27日に、亀島での最後の実践部会を開催した。内容は、鈴木実践のCDを見ながらのその実践の検討。出だしは、子どものニーズと今ひとつあっていなかった家庭科、ちょっと引っ張りすぎだったが、午後の授業は子どもも乗っていて快調。このエンカウンター的授業は、意味が生まれる場合と意味が生まれない場合があるような気がする。

11月例会報告

 今月は、秋の授業公開や研究会シーズンに、メンバーの見た授業のビデオやら資料に基ずく報告を中心に意見交換を行った。

 一つは、立命館宇治中学高校の社会科を英語で行うビデオ。生徒は成績優秀で、英語が好きで入学してきていますから、ネイティブの質問を相当程度に聞き取り、英語で応答しています。だから、英語の聞き取り能力やスピーキングの力は相当に高いと思われます。また、そのネイティブの方の問いも、企業のサービスにすべきものか行政の仕事にすべきものかを問うたり、なかなか上質の問いとなっていました。

 ただ、社会の授業としてみるともう少し根拠ある議論があってもいいかなと思わなくもありませんでした。こうした授業は、相当のレベルのクラスでないと無理だと思った次第。

 もう一つは、静岡の安東小学校の授業。教師が問いを中心に進める授業でないことがこの学校の長年の伝統となっており、ことに山崎という教師の授業は、その伝統をよく体現していたようです。子どものそれまでの経歴を見ながら授業を組んで進めていく手法です。基本的には初志の会の上質な授業だったのだろうと思われます。

 問題は、形式的に教師が問うか問わないかではなく、教えていく内容のつかまれ方がどうだったのかという点にありそうでした。子どもが授業を進めているかのように見せることではなく、互いに学ぶに値する世界がそこに開かれていっていたのかという点にあります。また、そういう関係変革が教室に生まれたのかどうかを視点として授業参観をしてみたい学校の一つだと思われます。

 講演で上田薫氏が元気に話されておられたようで、それはすごいことだと個人的には関心。

10月例会報告

 10月7日(金)は、子安が執筆した「生きることと死ぬことの教育」についての原稿を素材に、今日の生と死をめぐる実践状況について批判的な検討を行った。

 簡単にいうと、生と死を国家や宗教そして家族に還元するのではなく、その個人の対他者関係において捉え、その価値を学ぶ・検討することが重要だという主張を行った。おもに、浜之郷小学校の大瀬元校長の著作と金森俊朗の著作を素材に展開した論文である。まもなく刊行されるので詳しくはそちらを見て欲しい。

 討論においては、生と死を抽象的に捉えたり語ったりする傾向への批判、集合的アイデンティティへの安易な傾斜があることなどについて意見が交わされた。

7月例会報告

 7月14日の例会では、東海市の先生にトンパ文字を素材にしたエスニックの暮らしと文化についての報告をしてもらいました。全く違う文字であるが故に参加可能な子どもたちが生まれていたことが特に印象に残りました。

 また、そうした素材を探し、自分のクラスの子どもたちにとっても意義があるのではないかという姿勢も大切なように思われました。

過去の報告資料

スウェーデンとウガンダの学校と教師:2005年3月11日

 報告者:橋本尚美(愛知教育大学)、丹下加代子(愛知県教師)

 子安の参加しての感想です。ブログの内容とほぼ同じです。


 まず、ウガンダの報告で印象的だったことは、ウガンダ文部省がものすごく豪華なビルなのに、訪問した学校の職員室が木の下。教科書もノートも鉛筆もない。この落差は本当に激しい。

 教師の給与が日本円にして3000円。通りには朝から男も女も何をするでもなくじっとしている人が沢山いる。仕事がないのだそうだ。就業率が10%と聞いた。単純に90%の失業と考えていいのかどうかわからないが、ともかく仕事がない。ウガンダ政府の広報パンフレットと異なる実態が沢山あることだけは聞いていてわかった。他方、仕事がないのは大変な問題だが、それだけではなく生き方が違うのかも知れないとも思った。山羊が放牧されているのだそうだが、それを見ているのが仕事で、それは本当に見ているだけにしか見えないように長く座っていたそうだ。つまり、あくせく働いたりは決してしない。これは、私の一つの理想。

 あるのは青いバナナ。ほとんどそれを食べて暮らしているのだそうだ。余った弁当をあげたらみんなで分け合っていたストリートチルドレンに報告者は感動したそうだ。自分のクラスでは給食の時間にその取り合いでケンカが始まるのとは大きな違いだというわけである。貧しいが、独り占めのようなことは決してしない暮らし方をしているという。最後に、ゲージで変われている鳥と違って運動している鳥は美味しかったと報告者。

 なお、赤道直下の北側と南側で、水を貯めたタライから栓を抜いて水を出すと渦の巻き方が反対になるという実験をやってみせる人がいて、その実験代が500円。暴利。この実験は、むかし、仮説研の人が雑誌に書いていたことを思い出す。

 もう一つがスウェーデン。

 学校とコミューン(制度の違いはあるでしょうが、聞いている限りは行政のニュアンス)、学校と国の監査との関係が中心の報告でした。
 学校の監査と評価のシステムを聞いた限りで簡単に示すと、義務教育学校の監査はコミューンが行う。コミューンは学校庁(日本に当てはめると文科省の一つの局)に報告し学校庁はコミューンを監査・監督する。
コミューンが基準を提示し、学校がプランを作り、その結果を報告し、コミューンによる監査とフォローアップ、これらを学校庁に報告し、学校庁からの監査・アドバイス。
 これだけ見ると、日本ですすめられようとしている仕組みとそんなに違いがないように見える。だが、いくつかの点で異なるようだ。
 一つは、フォローアップに力点がおかれているために、監査に対して拒否感が少ないらしい。問題点を改善するために予算をつけたり、改善策が提案されるためらしい。日本では、個々の学校や教師を査定することが目的になっていたり、援助も金もなくて自分たちの中での改善だけが追求されてきていることとの違いといっていいだろう。
 二つには、学校教育の改革に生徒参加を制度化し、そのための生徒委員会が組織され、そこに、議員(与野党それぞれ)が張り付いて援助する仕組みをつくっていること。具体的には、高校生に無料バスカードを配布しているのだそうだが、それを中学生にも配布することなどが議論されたりしているらしい。これは実現しなかったそうだが、自治への参加を大人も関わりながらつくり出そうとしている点で日本と大きな違いを感じる。

 何を目的に監査を行うのか、そこに大きな方向性の違いを見た。

丹下加代子さんの参加記

印象に残ったことは、3つありました。
一つ目は、教育政策として、行き届くシステムであるということです。
20名ほどの児童に教師が2名いたことです。
国として、大枠の学習指導要領は決まっていても、細かいことは決定されておらず、授業計画を教師と子どもが立てるようです。
一人一人の考えにあった指導助言が十分できると予想できます。私は6年担任ですが、算数TTを取り入れ二人で31名をみてますが、復習の現在、子どもたちの一人一人のつまづきに対応できます。ひとりでは、こうはいきません。

二つ目は、評価の考え方、人間を育てるという観点が違うような気がしました。
ビデオの中で、ひとりの児童が教室外へ出て行ってしまいましたが、私の場合声をかけます。自分にとってよくわからない場合、教室の移動は可能だそうです。
小学校入学して8年間は、評定されないそうです。

幾種類かの粉が何なのかをグループで実験している場面がありましたが、「実験をする」「さまざまに考え、議論」することが教育の内容です。日本の場合、その議論の中で、「どのように考えを深めていたか」「意欲的に実験や話し合いに参加できたか」「結果 この粉は何なのか、実験の方法はどうすることがよ
いかを理解したか」という評価を教師が授業の中でしていて、チェックをしていきます。
その評価の作業があると、話し合いの最中に、実験のための「めがね」(子どもたちは結構気に入っていて、ずっとつけている)をいつまでもかけて、いる子は、どう評価されていくのか。話し合いに、粉を気にしてさわっている子は、どう評価が変わっていくのかがそして、そのように評価され続けていく日本の子どもたちは、どのように育っていくのかなと思いました。

最後に教師の立場です。
最後の話し合いで児童に配布したものと同じ小さなプリントを黒板にはって話し合いをまとめていきましたが、日本の教師は、そういった効果のないことはしないと思いました。それは、スウェーデンの場合、教師を長くやっているベテランの教師が少なく、職を変わるということにも原因がありそうだし、「取り組んだ」という事実が評価されて、結果が悪ければ「方法」をみんなで考えていこうという自己責任を追及されないシステムが原因だと思いました。愛知県は、17年度から県下20校小中学校で教員評価制度の試行が始まります。年度当初、教育の自己目標を校長に提出し具体的な計画を立てます。中間報告をします。5段階自己評価します。校長に5段階評価されます。荒れた教室を担当した経験のある私は「教師を辞めなさい」と言われているようなものです。そして、そのように教師も評価され続けていくことが日本の子どもたちの育ちにどのような影響をしていくのかなと思いました。

今年度の方針(工事計画あり、総会で部会報告が了承されましたら載せるかもしれません。新年度になりましたが、もうしばらくお待ち下さい。)

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